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01.時事寸評 Archive

年が変わって、変化色々。。。

ウェッジウッドの破綻は、かなりショック。。。
歴史があるだけでなく、製造者(業)としても確かな品質の製品を作っている企業が破綻するという事に対するショックは大きい。。。






将来、“歴史”に時を刻む制度変更が2つ、今日から施行された。

その1つは「株券電子化」。

<株券電子化>スタート システム障害なく、取引は通常通り 1月5日10時38分配信 毎日新聞

 上場企業の株券を紙から一斉に電子データに切り替える「株券電子化」が5日、実施された。紙の株券は無効になり、電子データは証券会社の口座を通じて、証券保管振替機構(ほふり)が一括して管理する。システム障害などは同日午前の時点では起きておらず、株取引は通常通り行われている。
 電子化は株式売買を安全かつ効率的に行う狙い。投資家にとっては株券の盗難、紛失の恐れがなくなり、企業にも印刷代などのコスト負担や偽装株券が出回る危険がなくなるメリットがある。
 ほふりに預託され電子データに切り替えられた株券は、上場企業が発行している株券総数の95.1%にあたる約3449億株。ほふりに預託されなかった4.9%の約178億株は、上場企業が株主名簿を基に開設する「特別口座」に登録され、株主権利は保障されるが、売買するには手続きが必要になる。【野原大輔】
最終更新:1月5日11時22分

ずっと以前から、テレビCMが放映されていたから知っている人も多いだろうけど、証券業界に身を投じる人でも制度を充分理解している人は多くはないと言えるような「株券電子化」がとりあえずスタートはした。
とりあえずスタートはしたけど、今後、どんな問題が表面化するのやら。。。

いずれにしても、制度施行初日の取引に混乱がなかったのは何より。。。(^_^;






ゆうちょ銀行が全国の銀行と接続、相互に振り込み可能に
1月5日12時58分配信 読売新聞

 日本郵政グループのゆうちょ銀行は5日朝、全国の銀行などが振り込み処理などに使っているコンピューターシステム「全銀システム」に接続した。
 全国1431の民間金融機関と相互に振り込みができるようになった。ただ、ゆうちょ銀の現金自動預け払い機(ATM)では口座間振り込みしかできず、現金は扱わない。
 ゆうちょ銀から他行へ振り込む場合は通常の口座番号を使えるが、他行からゆうちょ銀口座へ振り込む際には別の専用番号が必要になる。
最終更新:1月5日12時58分

実はこれも解りにくい制度変更。。。

郵貯(郵便貯金)口座と銀行預金口座の桁数が違うので、ゆうちょ銀行から「全銀システム」に接続する場合にはこれまでの「ゆうちょ銀行」とは別の口座体系が必要になる。
ゆうちょ銀行側が全面的に口座番号の見直しを行わなかったために、銀行との伝送振込みをしたいお客さんだけに7桁の口座番号を作るという特別な対応を行う。
結果、ゆうちょ銀行の利用者の“だれも”が銀行との相互振込みが“できるわけではない”システムが出来上がってしまった。

実はそれよりなにより。。。
ゆうちょ銀行が銀行との相互振込みが出来るようになるに当たって、1/2に最終的な“意思決定”があった。
にも関わらず、意思決定は1/5になるまで結果を公表されなかった事に腹が立つ。
当初は、予定通り実施するにしても、実施を取りやめるにしても、一切の案内をしないとゆうちょ銀行は言っていた。
そういう意味では1/5に“実施する”事を最終決定した事を公表したのは、いくらかマシ?
あれだけCMをしていて実施しない決定をしたとしても、“実施しない”事を公表する予定はなかったのだからね。

でもさぁ。。。
システムを(内緒で)稼動させてみて、問題なく動いた事を確認してから“実施”を公表するなんて、おかしくない?
相互振込みを試してみて出来なかったらいつでも中止できるなんて事って、金融機関の社会的責任を鑑みて“出来る”事なのだろうか?
そして、仮に、システムがウマく稼動しなかったら、(ゆうちょ銀行は)自分だけ口をぬぐって、「他の金融機関の準備ができていないから延期する」とでも言いたかったのだろうか?






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お正月早々。。。?お正月だからお年玉が欲しい?

お正月早々。。。こんなニュース。。。


「声届いた」「月曜以降は…」=喜びと不安-講堂開放の「派遣村」・厚労省
1月2日20時48分配信 時事通信

 「声が国に届いた」「月曜以降はどこで…」-。厚生労働省が2日、日比谷公園(東京都千代田区)の「年越し派遣村」に集まった元派遣社員らに講堂を開放したことに、派遣村の人たちからは喜びと不安の声が漏れた。
 同日午後8時前、「年越し派遣村」の湯浅誠村長が増え続ける宿泊希望者に対し、徒歩で5分ほど離れた同省講堂の開放決定を伝えた。
 「やったー」。肌寒く、時折冷たい風が吹く公園内には、拍手も響く。湯浅村長は「あす以降は宿泊希望者はもっと増え、限界に来る。政府は開村から3日目にようやく講堂を開放した」と対応の遅れを批判。一方で「皆さんの声が国に届いた。歓迎したい」と話した。
 しかし、講堂の使用期間は、同省が業務を開始する5日月曜日の午前9時がタイムリミットに。
 厚労省2階にある講堂に入った男性(53)は「先月6日に派遣の契約を切られた。派遣村に着いた時の所持金はたった3円だった」。約3週間、公園で過ごしてきたという男性は「月曜以降は、生活保護を申請し、日雇いの仕事を探すが、一体どうなるか…」と不安を述べた。
 また、元不動産業の男性(59)は「最初から開放すればいいのに。行き当たりばったりだ」とした上で「昨夜は派遣村のテントで寝たが、土を通して寒さが身に染みた。講堂は暖房が利いていて暖かい」とやや満足そうな笑みを浮かべた。講堂には、布団などの荷物を持った派遣村の人たちが続々詰め掛け、ほぼいっぱいの状態。派遣村の担当者が「布団は体のサイズに合わせ、なるべく詰めて敷いて」「省内は禁煙ですのでご協力を」などとスピーカーで呼び掛けていた。 
最終更新:1月2日23時27分


気になるのは、
>「政府は開村から3日目にようやく講堂を開放した」と対応の遅れを批判。
>「最初から開放すればいいのに。行き当たりばったりだ」
という発言。

派遣切りで住む場所を失った人を気の毒には思う。
でも、何故、今回に限って、政府が全面的に援助しなければならないのか?
こういう「同情を買ったモノ勝ち」のような雰囲気には抵抗を感じるなぁ。。。
それって、甘えや我侭と紙一重だと思うよ。


そういえば、日比谷公園に「派遣村」が出来た時のニュース記事にも違和感を感じた。

<生活支援>「年越し派遣村」東京・日比谷公園に開設 12月31日20時52分配信 毎日新聞

 仕事と住居を失った非正規社員らを支援する「年越し派遣村」が31日、東京都千代田区の日比谷公園内に開設された。派遣切りにあった100人以上の失業者らが各地から次々と集まり、年末年始を公園内で過ごす。360人を突破したボランティアらが5日までの開村期間中に1日3回の食事提供や労働相談を行い、宿泊場所も用意している。
 労働組合や市民グループで作る実行委員会によると、31日の入村者は129人。山口県で職を失った人や、所持金がなくなり、日比谷まで数時間歩いて来た失業者もいた。一部は年明けに生活保護の申請を行う予定という。
 「野垂れ死ぬかもしれないと思ったこともあるが、これでどうにか年を越せる。赤の他人にここまでやってもらえるとは」。群馬県の自動車関連工場の派遣契約を10月末に打ち切られ、11月中旬に寮を退去させられた男性(41)は、午前中のうちに入村し、少し安心したような笑顔を見せた。
 男性は、さいたま市や都内のネットカフェを転々とした後、公園で野宿しながら1日カップラーメン一杯で飢えをしのいできたが、所持金は数千円にまで減っていた。ようやく年明けまでの居場所が見つかり「来年は仕事を見つけ、お世話になった人に恩返しをしたい」と語った。
 開村式で、NPO法人「自立生活サポートセンターもやい」事務局長で村長を務める湯浅誠さんは「年末、年始の命を支える活動を通じ、労働者派遣法を中心とする『働かせ方』のおかしさを訴えていきたい」とあいさつした。
 カンパやボランティアなどの問い合わせは派遣村の臨時電話(090・3499・5244)へ。【東海林智、山本太一】
最終更新:12月31日21時14分


山口県や群馬県に住んでいた人が首都圏まで来て野宿をするのは、何故?
日比谷公園に来る交通費があったら、「所持金がない」という事もなかったのでは?


東京や首都圏は求人の絶対数は多い。
でも、それ以上に求職者数は多い。
さらに、今、日比谷に派遣村に集っているような人が求めるような職種の求人数は、首都圏では極端に少ない。

そんな事を考えると、日比谷公園の「派遣村」って、なんとなく「助けてもらって当然」と感じる人が集まってきているように見えるのは、穿りすぎなのかなぁ。。。





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お陰さまで、無事に終了

今日は金融機関の年内最終営業日。

信託銀など受け付け終了=株券電子化前の名義書き換え 12月30日19時0分配信 時事通信

 来年1月5日実施の株券電子化を控えた株券の名義書き換え申請の受け付けが30日、信託銀行や証券代行会社で締め切られた。証券保管振替機構(ほふり)に株券を預けず自宅などで保管している、いわゆるタンス株主には、電子化前に株券を自分名義とする最後の機会となったが、「特に混乱はなかった」(大手信託銀行)という。 
最終更新:12月30日19時1分

ネットでは「窓口が混雑していて手続きが出来なかった」という書き込みもあったけど、総じて順調だったと言えるんじゃないかな。

とりあえず、申し込みさえしておけば、名義書換が完了していなくても大丈夫なはず。
名義書換完了までに通常で2週間かかるから、今回のような特別な場合だと1ヶ月かかるかもしれない。
それでも、名義書換完了していなくてもタンス株主の権利は保証されるはずよ。


金融機関のシステムに関わる者としては、2008年12月30日を無事に終えられて一安心だよ。
あとは、2009年1月5日を無事に迎えられることを祈るのみ。

っていうか、システムに関わる者が神頼みでいいのか?(^_^;




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獅子身中の虫の居所。。。

ネットのニュースは過去ログがあっという間に消されてしまうので、とりあえずクリップ。
ただ、このニュース記事を読む限り、“獅子身中の虫”という言葉を思い浮かべざるを得ないよね。。。
ただ、最後のニュース記事の最後の行は、後に検証するべき価値のある文だと思う。
そのとき、私が“覚えていたら”と言う前提つきだけど。。。






【激動政局2008 崩れる権力の楼閣】(上)福田首相、期待は裏切られた
12月29日8時2分配信 産経新聞

■「話せば分かる」
 1月29日夜、自民、公明両党は揮発油税の暫定税率期限切れを防ぐためのブリッジ法案を国会に提出した。法案が1月中に衆院通過すれば、民主党が掲げる4月からの「ガソリン値下げ」は水泡に帰す。民主党は、30日の本会議開会を阻もうとピケを張り、衆院議運委員長の笹川堯らを議運理事会室に監禁。ピケ破りにきた自民若手とつかみ合いとなり、怒号が響き渡った。笹川らはひそかに窓から屋根づたいに隣室に逃れたが、与野党のにらみ合いは続いた。
 ところが、翌30日に事態は急変する。衆参議長が斡旋(あっせん)に乗り出し、与野党幹事長が暫定税率を担保する歳入関連法案に関し「年度内に一定の結論を得る」とする合意文を交わしたのだ。

■議長斡旋をほご
 与党はブリッジ法案を引っ込め、与野党に「雪解け」ムードが広がった。2月上旬、自民党幹事長の伊吹文明は東京・神田の小料理店に国対幹部を招き、慰労会を開いた。
 「いやー、うまくいった。すべて計画通りだ。ブリッジ法案は議長にお出まし願うための友釣り用のアユだったんだ」
 満面の笑みで語る伊吹を横目に、国対委員長の大島理森は苦虫をかみつぶしていた。「果たして民主党執行部に常識や良識が通用するか…」
 大島の嫌な予感は的中した。民主党は2月末の予算案の衆院強行採決を理由に議長斡旋をほごにしたのだ。
 首相、福田康夫は3月27日、緊急記者会見を開き、道路特定財源の一般財源化を表明した。「4月パニック」を回避するための大幅譲歩だった。
 「混乱を回避し、国民生活を守るという首相の責任を全うするために何としても野党のみなさんとの話し合いの機会を作らなければいけない」
 福田は切々と協力を呼びかけたが、民主党代表の小沢一郎はにべもなかった。
 「政府・自民党の言う通りにいかないと国民生活が混乱するという論理は、半世紀以上続いた長期権力のおごりであり錯覚だ」
 4月1日未明、ガソリンの暫定税率(1リットル当たり約25円)は期限切れとなり、全国で値下がりした。民主党は勝利の酒に酔った。

■日銀人事も一蹴
 もう1つ、福田を悩ませ続けた懸案は3月19日に任期切れとなる日銀総裁、福井俊彦の後継人事だ。日銀総裁が空席になれば、日本の国際信用力は一気に低下する。国会同意人事には、衆院の優越規定がないため、衆参両院の同意が必要。福田がブリッジ法案に難色を示し、強硬論を説く大島らに「話し合いを続けてほしい」とクギを刺したのも日銀人事が念頭にあり、参院で過半数を占める野党の機嫌を損なうわけにはいかなかったからだ。
 3月7日、福田は日銀副総裁で元財務次官の武藤敏郎を総裁に、京大教授の白川方明と東大教授の伊藤隆敏を副総裁に充てる人事案を提示した。だが、小沢の指令で、参院民主党は白川以外の人事を一蹴(いっしゅう)した。
 福田は慌てた。小沢とは事前に電話で連絡を取り、武藤の起用に「内諾」の感触を得ていたからだ。
 確かに2月中旬まで小沢は揺れていた。2月15日、小沢は元日銀理事で元衆院議員の鈴木淑夫を党本部に呼び、「政権担当能力を示すには武藤でもよいと思うが、党内の反発は強い。参ったな…」と苦悩を打ち明けたほどだ。
 だが、2月19日のイージス艦「あたご」と漁船との衝突事故で、国会はにわかに騒がしくなっていた。2月29日には与党は予算案を衆院で強行採決、民主党は再び徹底抗戦モードに切り替わった。鈴木から「総裁が欠員になっても副総裁が職務代行できる。慌てなくてもよいのではないか」との手紙を受け取っていたこともあり、小沢はすでに吹っ切れていたのだ。
 福田は3月18日、元大蔵事務次官で国際協力銀行総裁の田波耕治を総裁候補とする人事案を出すが、参院は19日に否決。4月9日に白川の総裁昇格が決まるまで戦後初の日銀総裁空席という異常事態が続いた。

■連立構想ご破算
 「話せば分かる」
 1月15日の記者会見で、こう言い切った福田の民主党への淡い期待は見事に裏切られた。
 福田の脳裏には平成19年10月30日と11月2日の2度にわたる小沢との党首会談があった。自民、民主両党の大連立構想を持ちかけてきたのは小沢であり、民主党内の内紛でご破算になったとはいえ、いつか再び小沢と真摯(しんし)に向き合える日が来ると信じていたのだろう。
 4月9日、福田にとって2度目の党首討論(国家基本政策委員会合同審査会)が開かれた。1月9日の初の党首討論では、福田は「まったく同感です」「ごもっともな話です」と何度も小沢に同調し、ラブコールを送ったが、この日は違っていた。
 「100日ぶりの討論ですが、お答えする前にぜひひとつお尋ねしたい」
 こう切り出した福田は日銀人事や歳入関連法案などに対する民主党の対応への怒りをぶちまけた。
 「昨年、お会いしたときは『一緒になってやらなきゃいかん』という気持ちだったと思うが、その気持ちを忘れてもらっては困る。(野党にも)政治に対する責任はあるのだから誰と話せば信用できるのかぜひ教えていただきたい。本当に苦労しているんですよ。かわいそうなくらい苦労しているんですよ…」
 これが福田の小沢との決別宣言だった。
 だが、国会混乱に対する批判は政府・与党に向けられ、内閣支持率は急落していった。4月27日の衆院山口2区補選でも自民党候補が惨敗。歳入関連法案が憲法59条の「みなし否決」規定により衆院再議決で成立したのは4月30日だった。=敬称略、肩書は当時
最終更新:12月29日8時16分


「崩れる権力の楼閣」狂いだした解散シナリオ
12月30日22時28分配信 産経新聞

 「国民生活を考えれば政治的な駆け引きで政治空白を生じることがあってはならない。この際新しい布陣で政策実現を図らなければならないと判断し、本日辞任を決意しました」
 9月1日午後9時半。東京・西麻布のクラブの液晶テレビに首相、福田康夫の姿が大きく映し出された。
 「これは大変なことになったな…」。顔を見合わせたのは、元首相の安倍晋三、元自民党政調会長の中川昭一、前経産相の甘利明。後の麻生政権誕生の立役者となる面々だった。
 この夜は選対副委員長の菅義偉も駆けつけ、幹事長の麻生太郎を囲む「NASAの会」を開くはずだったが、先に到着した3人は嫌な予感は感じていた。午後8時すぎ、麻生が「申し訳ないが会合に遅れそうだ。なんとか顔だけは出したいんだが…」と沈んだ声色で電話をかけてきたからだ。
 麻生にとっても福田の辞任は青天の霹靂(へきれき)だった。1日午後6時前、首相官邸に呼ばれた麻生は福田から唐突に辞意を告げられた。
 「この難局で続けていくのは難しいので辞めようと思う。後はあなたの人気で華々しく総裁選をやり民主党を打ち負かしてほしい」
 遅れて部屋に入った官房長官、町村信孝は必死に慰留したが、福田はさばさばした表情で振り切り、元首相の森喜朗らに電話で辞意を伝えた。ただ、公明党代表の太田昭宏には会見直前まで連絡しなかった。7月以降、福田政権を揺さぶり続けた公明党への意趣返しのようだった。
 福田にとって内閣改造後の1カ月間は次期政権に最も有利となる「引き際」を探る日々だった。福田は会見の最後で「『人ごとのようだ』とおっしゃるが、私は自分を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです」と言い放ちひんしゆくを買ったが、これは地位に恋々としない自らの美学を踏みにじられた悔しさから出た言葉だった。

 福田退陣を受けた自民党総裁選は9月10日に告示され、麻生、元官房長官の与謝野馨、元防衛相の小池百合子、元政調会長の石原伸晃、元防衛相の石破茂の5人の争いとなった。
 福田は総裁選を通じて自民党の支持率を一気に回復させ、新政権発足直後に解散するシナリオに望みをかけたが、思惑通りに事態は進まなかった。
 安倍、福田と2代続いた早期退陣に対して、世論からの「政権放り出し」との批判は厳しく、総裁選が「茶番」に映ったからだ。序盤戦で麻生勝利が固まってしまったことも総裁選が盛り上がらなかった一因だ。9月15日には米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)を機に金融恐慌が世界を襲い、「お祭り騒ぎをやっている場合ではない」と風当たりは強まった。
 22日、新総裁に選出された麻生はこう宣言した。
 「私に与えられた天命とは次なる選挙で断固民主党と戦うことだ。国民が抱える数々の不安に応え、国家国民を守る安全保障問題を堂々と掲げ、実行に移す力はわが党以外ない」
 24日、麻生は第92代首相に指名されたが、各種世論調査の内閣支持率は5割前後と伸び悩み、福田から受け継いだ解散シナリオは大きく狂い始めた。

 組閣、所信表明演説と一連のセレモニーを終えた麻生は分厚い冊子を険しい顔つきで凝視した。9月22~27日に実施した自民党の極秘世論調査の詳報だった。
 自民党は小選挙区146、比例代表69の計215議席。民主党は小選挙区141、比例代表73で計214議席と拮抗(きっこう)。公明党が現状31議席を維持すれば、与党がなんとか過半数を維持できる数値だった。
 だが、別添の「調査分析メモ」はショッキングな内容だった。
 相手候補に5ポイント以上差を付けた「当選有力議席数」は、自民党が小選挙区84、比例代表57~63の計141~147議席。民主党は小選挙区121、比例代表72~79の計193~200議席。5ポイントは少しの風で吹き飛ぶ差だ。米大統領選のあおりで「チェンジ旋風」が吹けば自民党は大敗しかねない。
 麻生はやむなく代表質問最終日の10月3日解散のシナリオを捨てた。次に麻生が狙ったのは、第1次補正予算を成立させ、第2次補正予算のメニューを示した直後の解散だった。麻生は10月10日夜、自民党幹事長の細田博之を都内のホテルにひそかに呼び出し、11月18日公示、30日投開票に向けた準備を指示した。
 だが、株価と連動するように支持率は下落の一途をたどっていった。「このまま総選挙に突入するとまずい」。そう考えた菅は猛烈な巻き返しを図った。
 10月16日夜、菅は中川昭一、甘利とともに都内のホテルで麻生を説得した。麻生は「おれはデータなんか信じない。勝負してみないと分からないじゃないか」と強気だったが、菅は「やっとの思いで政権を取ったのに何もやらずに政権を手放すんですか。自殺行為だ」と粘った。2時間後、麻生は「う~ん、悩むな…」と漏らし、この日を境に解散先送りに傾いた。

 解散が遠のくと、政権のほころびが目立ち始めた。「目玉」のはずの定額給付金では、所得制限をめぐり政府・与党は迷走。麻生の失言や連夜のバー通いもバッシングされた。民主党は再び牙をむき、元幹事長の中川秀直、元行革担当相の渡辺喜美ら反麻生勢力の動きは活発化した。
 自公連立もきしみだした。
 12月15日、自民党選対委員長の古賀誠は都内のホテルに各派事務総長を集め、こう告げた。
 「自民党は本来の支持層をまだ回復していない。比例代表への意識が希薄なんじゃないか。『選挙区も自民、比例も自民』でなければ自民党はますます弱体化する。連立は得るモノあれば、失うモノもある」
 選挙責任者が自公の選挙協力の見直しを示唆したことに公明党はおののいたが、実は伏線があった。
 12月12日、麻生は記者会見で「財政責任のあり方を示すことが責任政党の原点であり矜持だ」と述べ、平成23年の消費税増税を表明。公明党は猛反発し、ある幹部は「選挙時期も決められない人が、消費税の引き上げ時期を言えるのか」と言い放った。
 これに自民党は「ここまで公明党にコケにされてよいのか」と憤慨した。福田退陣に追い込まれた恨みもある。公明党がゴリ押しした定額給付金への不満も渦巻く。そんな公明不信の延長線にあるのが古賀発言だった。今後、自公の亀裂はさらに広がる公算が大きい。
 「一部に『選挙だ』『連立だ』『政界再編だ』という議論があるが、そんなことを言っている場合ではないし、あり得ない。私は国民生活防衛のためなら、どんな批判も恐れず何でもやり抜く覚悟だ」
 21年度予算案を閣議決定した12月24日、麻生は記者会見でこう述べたが、来年1月5日召集の通常国会で民主党が「最終決戦」を挑んでくることは間違いない。政界が濃い霧に包まれる中、自民党政権最後の首相にもなりかねない麻生。その姿は江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜と重なり合うとも言われる中、崩れゆく権力の楼閣をどう立て直そうとしているのか。=敬称略、肩書は当時。
最終更新:12月30日22時38分


政治メディアは迷走していないか
12月29日22時6分配信 産経新聞

 現役の政治記者時代、新聞の政治面には「ハコ」があった。新聞によってタイトルは違うが、政界のこぼれ話を3本ほど載せるスタイルはほぼ共通していた。
 各社とも若手の記者が交代で担当する。政党や首相官邸、各省庁などの担当記者に「ハコネタありませんか」と電話をかけ、材料を集めて軽いタッチで書く。若手の文章修業の場ともなっていた。
 土曜にはあまり動きがないので、自民党では当番の副幹事長が、「ハコ」向けの会見を行う。幹事長室のベテランスタッフがざれ歌などを用意しておき、これを自作として披露するのだ。いまなら「やらせ」として批判されてしまうのだろうが、そうでもしないと「ハコ」にアナがあいてしまう。
 この欄がいつの間にか消えた。その代わりに、かつてならば「ハコネタ」扱いであったはずのものが、重大ニュースとして報じられるようになってしまった。
 麻生首相の「高級ホテルのバー通い」「漢字の読み間違い」などは、さしずめそのたぐいだ。政治記者がまなじりを決して報じるような話ではない。
 臨時国会終盤で民主党が出した解散要求決議もそれに近い。憲法にも国会法にも規定はない。出すなら内閣不信任案だ。
 自民党の渡辺喜美氏が賛成して、これまたビッグニュースになった。これが政局転換につながるというのなら、大きな扱いとなるのもわかるが、その気配はまったくない。
 法的拘束力のない決議案を野党が提出することの不可解さもたださず、これに造反者が1人だけ出たことに大騒ぎする。そういう政治メディアとはいったい何か。
 処分を受けた渡辺氏だが、自民党内には逆に結束効果とでもいうべき現象が起きている。解散要求を葬(ほうむ)ったのだから、解散先送りが完全に容認されたわけだ。解散時期をめぐるそうした「力学」の変化をこそ見極めたい。
 宮沢政権崩壊時には野党提出の内閣不信任案に自民党から大量の同調者が出て、これが2つの新党誕生につながった。あのころのダイナミズムとは比べようもないのだが、最近の政治メディアの「局所肥大症型」報道は異様に映る。
 内閣支持率急落で「政権末期状態」と報じた新聞もあった。本当にそうなのか。そうでなかったのなら、大きな活字がむなしく見える。
 昨年、「大連立」構想が浮上したとき、ほとんどのメディアは「大政翼賛会だ」などと非難した。いま、来るべき総選挙後に大連立再燃の可能性が現実味を帯びている。
 昨今の政治メディアの迷走は、大連立の意味合いを理解できなかったあのときに始まったのではないか、などと年の瀬に考えている。
(客員編集委員 花岡信昭)
最終更新:12月30日0時18分


う~ん。。。どっちがいいのか?

う~ん。。。


内定取り消し続出 各大学が「留年・出直し就活」支援
12月28日21時36分配信 産経新聞

 世界的な金融危機で、大学生の就職内定取り消しが相次ぐ中、留年することで、改めて「新卒」として出直し、就職活動を目指す学生に授業料を減免するなどの形で支援する動きが各大学に広がっている。大学生にとって、厳しい年末年始になりそうだが、各大学では「学生の不安が少しでも軽くなれば」と話している。
 就職活動は新卒が有利とされるため、内定を取り消された学生の中にはあえて1年間留年して、「もう一度、新卒として就職活動したい」という希望も想定される。今回の措置は、そうした学生の希望に応えるものだ。
 青山学院大学(東京都渋谷区)では、来春から1年間だけの特別措置として、卒業要件を満たしながら、内定を取り消された学生の在学を認め、1年間の学費を減免する方針を打ち出した。減免率などは今後検討する。
 同大では、経営破綻(はたん)や業績不振などを理由に、8人が内定を取り消された。うち5人は就職活動を再開しているが事態は深刻だ。同大は「学生の希望に沿えるように全力で取り組みたい」としている。
 学生1人が内定を取り消されたという工学院大学(東京都新宿区)。ほかにも学生4人が内定辞退を企業から促されており、留年を希望する学生に対する授業料減免の検討を始めた。「留年を勧めるわけではないが、学生の不安を少しでも軽減させたい」
 湘南工科大(神奈川県藤沢市)でも、同様の特別措置を検討。内定を取り消された学生はこれまでに出ていないが、「先手を打って学生をバックアップしたい。4年間学んできた学生にとって不利益にならないようにしたい」という。
 一方、内定を取り消された高校生や専門学校生、短大生への支援を打ち出しているのは、長崎ウエスレヤン大学(長崎県諫早市)。内定を取り消された高校生らが入学試験で合格した場合、授業料を半額免除する奨学金制度を創設した。文科省も「こうした奨学金制度は聞いたことがない」としている。
最終更新:12月28日21時43分

学校は学生の事を“考えている”かのような記事だね。
でも。長崎ウエスレヤン大学のケースはともかく、青学の大学院の話を聞いた時には、学校にはお金が入るんだよね。。。と思った。
本来なら卒業して学費を納めなくなってしまう学生を卒業させずに学校に残しておくことで、減免したとしても何がしかの授業料が入るのだよね。。。と。


20数年前の私が就職した頃も就職できない学生が大学院に残るケースは多かった。
就職浪人するより、学歴が上がっても“新卒”の方が就職に有利だからという理由で。
今とは違って、その頃の就職事情では学歴が高すぎるのは、その年齢からも敬遠られた。
女性は短大卒が1番有利で大卒は公務員以外の就職は有名校に限られていた。
男性でも大卒が1番有利で、学歴が上がる大学院卒の就職は大卒よりは不利だった。
そんな時代でも、浪人より新卒だった。
でもそれは大きな会社、ダレもが知っているような有名会社に入社するケースで、中小企業ではあまり違いはなかったような気がする。
実際、大学院も併設していた私の出身大学では、就職のために大学院に進むという学生はなかった。
私の大学では新卒でさえそんな有名会社や大会社に就職なんて無理だから、名も知らぬような中小企業に就職する人が多かったから卒業までに就職できなかった学生でも卒業後の早い時期に就職していた。
聴講生として残った人はいたけど、そんな人たちは元々モラトリアムで就職そのものをしたくなかった人たちだったものね。。。

その頃は今とは働き方も違っていて、派遣社員なんて制度はなかった。
今ならフリーターの様な働き方でも他人から後ろ指をさされる事は少ない。
ご本人たちは、「フリーターになりたくないから正社員採用を目指して学校に残る」というのだろうけど、1年後、2年後に正社員に採用される保証はないのだから、例えアルバイトだとしても就職して何かしらのスキルを身につけた方が就職の可能性が高いと思うけどなぁ。。。
同じ“学校に行く”のであれば、資格やスキルを身につけられるような学校に行く方が良いと思うよ。

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