- 2007年1月17日
- 01.時事寸評
毎年、「もう○年なのね」と思うけど、私にとってはまだまだ記憶に新しい阪神大震災からもう12年。
日本が地震が多い国だとは言え、たった12年では、忘れてしまうのは早いなと思うのだけど。。。
「命を大切に」の思い込め=語り継ぐ「1.17」-阪神大震災から12年1月17日7時1分配信 時事通信
6434人が犠牲になった阪神大震災から12年となる17日、兵庫県内の各地では、さまざまな追悼行事が営まれ、がれきの中から復興を遂げた街は鎮魂の祈りに包まれた。住民たちは「かけがえのない命を大切に」という思いを胸に、体験を語り継ぐ決意を新たにした。
大切な人を失った肉親や友人の悲しみの記憶は、いまだに鮮明だ。神戸市中央区の東遊園地では、今年も早朝から、市民団体と市による追悼の集いが開かれた。
「1・17」の数字をかたどって並んだ竹灯籠(とうろう)のろうそくは6610本。震災による心労や病気が遠因となって亡くなった人を犠牲者に加えた数で、昨年より15本増えた。最終更新:1月17日7時1分
関東大震災の9月1日が防災の日となっているように、阪神大震災も防災の日として9月の防災の日と併せて身の回りの防災チェックをする日にすればいいのにと思う。
なんて言う私は、普段は忘れているけど、年に2回のこのタイミングでささやかな見直しをしている。(つもり (^^; )
っていっても、乾パン類のチェックをしているだけなんだけどね(^^ゞ
数年前、ある役所の防災担当者と地震災害について話した事があった。
彼らは阪神大震災の被害を「危機への備えをしていない事が被害を大きくした」と言った。
そうね。。。
あの地域では、それまで大きな地震はなかった。
そして、それを以って「関東大震災のような大きな震災は起きない。地震があっても被害は少ない。」と言っていたのは行政だった。
そしてまた、それまでの日本では直下型の地震がなかったから、初めての直下型の地震への備えができていなかったのは、それこそ行政だった。
別に行政だけを非難するつもりはない。
でも、過去に経験がないし、行政が“危険は少ない”と言えば、個々人の備えがそれなりになるのは人情だろう。
そこに踏み込んで“備え”を促すのが行政の仕事である訳で、だからこそ私と話したその人たちの任務が出来たのでしょう。
と、その時は、話のニュアンスで、何となく、相手が、災害への備えをしていない住民を非難しているように聞こえたから、カチンと来て思わず反論したのよね。
実際は、相手に住民を非難する意図は全くなかったのかもしれないけどね(^_^;)
災害の大きさの予測をすることは難しい。
先ごろの北海道の津波のように、「避難勧告が出たけど、結果は避難するほどでもなかった」という事も良くある。
でも、災害には常に最悪の被害を予測して対応するのがスジで、そういう災害対策の仕事をする人たちの努力が“いい意味で”徒労に終るのが望ましいのよね。
あぁ。。。
また、なんだかまとまりが無くなってしまったわ(^_^;)
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Comments:3
- ゆりかりん 2007年1月18日 09:13
予測することが難しいからこそ、
過去の事実を捏造したり、歪曲したり、隠蔽したりせずに、
ありのままの状況を詳らかにして、
それらに向けた対処法を検討しておくのが最低限必要だよね。どうも、形だけに終ってる気がしてならないなぁ・・・。
本当は、もっともっと酷いことが山ほど起きていたと聞くし・・・・・。
小売店強盗とか、レイプとか、・・・・etc.- たけ 2007年1月18日 19:57
私は会社でみんなとテレビを見ていました。
炎と煙ですごいことになってる町がずっと映っていて、ちょっと目を放すとテレビの下に出る亡くなった人の数がガンガンッ!と増えてなんだか日本で起こってることとは思えなかったのを思い出します。でも、地震とかがおきて家がつぶれてしまったらどうしよう?ってことは考えるんですけど、非常食とかはこれといってそろえていません。
なにをどれだけそろえておいたらいいもんか?なんて考えたりはするんですけどね、今だそろえていません。
- COO 2007年1月19日 01:55
>ゆりかりんさん
それまで日本で直下型と言われる地震がなかったので、
それまでの横揺れの地震が起きる事に対して情報公開と備えの提案については出来ていたのかもしれませんが、
経験のない災害にたいする備えは出来ていなかったのかもしれませんね。
あの時は、ヘリコプターで放映される“ニュース”以外の情報は
恐らく首相官邸でも持っていなかったハズですから。。。今更ですが、第4の資源である“情報”をいかに収集するかについても
行政はもっと腐心する必要があるのでしょうね。。。
>たけさん
前日まで上越にスキーに行っていた私は、前日の夕方に上越でも考えられない大雪に見舞われました。
危うく帰れない処だったのですが、5分ぐらいの判断時間の差で東京に無事帰る事ができました。
翌日目が覚めた時には、戦争映画と見まがうような神戸の状況を画で見てビックリ。
金融機関に勤める立場だったので、被災地で滞りなく資金の引き出しができる方法の検討に入りました。
私たちが出来るのは、まず、金融不安を起こさない事。
“お金はいつでも引き出せる”という安心感を持ってもらう事で、社会パニックを少しでも抑える事が第一義でした。その後は、男性は金融機関の窓口でお金を下ろせる機械を大阪から神戸まで徒歩で運んだり、
女性は、お金で買えないものを。。と献血したり。。。
その程度しかできませんでしたけど、その時は精一杯でした。今は、せめて3日は生き延びれる食料と水の確保だけですね。。。(^^ゞ