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物語はもう子供向けではない感じ

近所のシネコンのレディースデイの今日は、ハリーポッターと不死鳥の騎士団を観てきた。(リンク先は音が鳴ります)
「額の傷の謎が明かされる」とか、「全ての謎が明かされる」いう文句に釣られたかな?(笑)
って言うより、観たかった映画の時間があわなくて1000円ならいいかなと言う感じで見た(^_^;


#ストーリー(公式HPより)

ハリー・ポッターはホグワーツ魔法魔術学校の5年生になる日を心待ちにしながら、長く孤独な夏を耐えていた。底意地の悪いダーズリー一家と一つ屋根の下にいるだけでもつらいのに、クラスメートはおろか、親友のロン・ウィーズリーやハーマイオニー・グレンジャーからも便りがない。それどころか、ヴォルデモート卿と対面したあの日以来、ハリーに話しかけてくる者は誰一人いないのだ。ようやく一通の手紙が届いたが、楽しいことが書いてあるわけではない――それは、ホグワーツから除籍されるという通知だった。除籍の理由はホグワーツ以外の場所で、しかも魔法の使えない“マグル”の前で、魔法を行使したこと。この場合のマグルとは、いじめっ子のいとこ、ダドリー・ダーズリーである。ハリーとダドリーは2人組のディメンター(アズカバンの看守で吸血鬼)から奇襲を受け、ハリーはやむなく応戦した。いわば正当防衛だ。

ハリーが自己弁護できる唯一の機会は魔法省で開かれる尋問会だが、それも魔法省の大臣コーネリウス・ファッジがおしるし程度に開いたものだ。ファッジは密かにハリーの永久追放をもくろんでいたが、あいにくハリーは無罪放免になった。これもホグワーツの名校長アルバス・ダンブルドアのおかげである。ところがホグワーツに戻ったハリーは、今までになく居心地の悪さを感じる。どうやら魔法界の住人たちは、ヴォルデモート復活の一件をハリーの作り話と信じ込んており、ハリーの人格を疑っているらしい。  

孤立無援におちいったハリーは不吉な夢にうなされるようになる。もっと悪いことに、いちばん頼りにしてきたダンブルドア校長が急につれない態度をとり始めたではないか。
一方、ファッジはダンブルドアとホグワーツの生徒――特にハリー――の動向を警戒してホグワーツに目つけ役を送り込む。それが、闇の魔術に対する防衛術の新任教師ドローレス・アンブリッジだ。しかし、アンブリッジ先生が教える“魔法省お墨つき”の防衛術では、ホグワーツに迫り来る闇の力にとてもたちうちできない。ハリーは、ロンとハーマイオニーに説得されて立ち上がる――校内の有志を集めて“ダンブルドア軍団”を結成し、闇の魔術から身を守る方法をみんなにレクチャーして、きたる壮絶な戦いに備えようと決意したのだが……。


ハリーが大人になって、映画も観る人の対象者の年齢を上げたような気がする。
物語はもう子供向けではない感じ。
ただ、今回はテーマもあって善役と悪役が解り易かったから、そういう意味では小さい子が観ても理解はできると思うけどね。

娯楽映画としては楽しかったものの、想像を超えるものではなく大きな物足りなさを感じる。
面白かったのはロン(ルパート・グリント)の双子のお兄さん(ジェイムズ&オリバー・フェルプス)達の大暴れかな。
あれは痛快。
話題になったハリーのキスシーンには“?”
ハリーが大人になる象徴なんだろうけど、話の展開の上でもキスをする必要性を感じない。
単なる話題づくりだったのかな?と思っちゃった(^^ゞ






以下ネタバレあり





夏休みに親友のロンやハーマイオニー(エマ・ワトソン)からの連絡がなく寂しい思いをしただけでなく、ロンやハーマイオニーはシリウス(ゲイリー・オールドマン)も関係しているらしい「不死鳥の騎士団」のアジト(?)に出入りして、その「不死鳥の騎士団」では「ハリーに話すべきか?」というような相談をしている。
ハリーの知らない処でハリーにも関係する何かが起きている。。。
ハリーが単なる疎外感でない寂しさを感じるのが解る。
“大人”たちは皆“ハリーの為”を思っているのだけど、大人でもなく子供でもないこの時期のハリーはそんんな扱いを“孤独感”として悩むよね。。。
“マグル”である身内の家でずっと孤独だった身には、魔法使いの間でも孤独になってしまっては行く場所が無くなってしまう。


ネビル。。。ハリーの名づけ親のシリウスがハリーに渡した写真に写っていたのはネビルの両親。
これ迄の話を私が理解していなかったのか、忘れたのか、ネビルの両親もヴォルデモート卿の被害者だったらしい。

ここから?ハリーは再びヴォルデモート卿と戦う気になったようだ。
でも、この時点では未だ独りで。

ハリーに親友たちの考えている事が判らないからなのか、ハリーは親友であるロンやハーマイオニーをはねつけてしまう。
「何を言ったところで、信じてもらえない」と思ったのだろうけど、友達まで信用できなくなってしまうのは寂しい。
とは言え、魔法省がヴェルデモートの復活を認めていないのだから、ハリーやハリーのいう事を信じる者は“異端者”だものね。。。
それでも、ロンやハーマイオニーはハリーを信じて、ヴォルデモートに打ち勝つ術を学ぼうとする。
それは友情ではなく、身の安全の為だったかもしれない。
そして、行動力のあるハーマイオニーはヴォルデモートに対抗するために「ダンブルドア軍団」を結成し、ハリーを講師に“身を守る術”を学ぶ。
“必要な者”に与えられる“秘密の部屋”はネビルが見つけた。
必要だったのだから与えられたのだろうと思うと共に、ネビルが見つけたことに今後の意味があるのだろうとも思った。

いずれにしても、彼らは(公式)の“権力”であるアンブリッジに反抗して学内で“秘密結社”を作った。
それはハリーに対する友情だけでなく、自身が生き延びたいが為だったかもしれない。
でも、ハリーが教える“実践”的な呪文は、ヴェルデモートの復活を信じる彼らが学びたかった事そのものだったものね。
“ヴェルデモートの復活を信じる”という点でハリーを信じていることになるという事。
そして、その仲間の中からロン、ハーマイオニー、ネビル(マシュー・ルイス)、ルーナ(イバンナ・リンチ)、ウィーズリー家の末っ子ジニーがハリーの危機に行動を共にする。
友人であるハリーを救うために。
ネビルやルーナが、魔法省にシリウスを助けに行くハリーと一緒に魔法省に出かけた時には、弱い私の涙腺から涙がこぼれ出ちゃったよ。。。

唯一“映像”として面白かったのは、“ダンブルドアとヴォルデモートの対決”。
CGイッパイだったけど、迫力はあった。
ただ観ながら、「スター・ウォーズ EP3」のシスとヨーダの対決のようだと思ったんだけどね(^_^;
それでも、それまでのハリーVSヴェルデモートという子供と大人ではない、大人と大人の力比べは迫力もあって見ごたえはあるよ。


さて×2。
この映画の主題は“愛と友情”。
悪役のヴェルデモート側には“愛”も“友情”も無いけど、ハリー側には“愛”も“友情”もある。
そういう意味では、次回作ではハリーがヴェルデモートに勝つのだろう。
でもね。。。自白薬で白状させられた事を後で知ったとは言え、魔法省の役員をクビになりかけている母を持つチョウ・チャン(ケイティー・ラング)が“秘密結社”のことをバラしたと知ったあとのハリーは冷たすぎる。
ハリーはチョウには愛情も友情も感じていなかったの?
キスをしたのは、チョウを好きだからではなくて、“ヤドリギの下”だったから?
なんだか不満だなぁ。。。

その不満解消の為のサービスショット(?)という訳ではないと思うけど、スネイプ先生がハリーを嫌いな訳が解ったのは面白かったな(笑)

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