Home > 01.時事寸評 > 獅子身中の虫の居所。。。

獅子身中の虫の居所。。。

ネットのニュースは過去ログがあっという間に消されてしまうので、とりあえずクリップ。
ただ、このニュース記事を読む限り、“獅子身中の虫”という言葉を思い浮かべざるを得ないよね。。。
ただ、最後のニュース記事の最後の行は、後に検証するべき価値のある文だと思う。
そのとき、私が“覚えていたら”と言う前提つきだけど。。。






【激動政局2008 崩れる権力の楼閣】(上)福田首相、期待は裏切られた
12月29日8時2分配信 産経新聞

■「話せば分かる」
 1月29日夜、自民、公明両党は揮発油税の暫定税率期限切れを防ぐためのブリッジ法案を国会に提出した。法案が1月中に衆院通過すれば、民主党が掲げる4月からの「ガソリン値下げ」は水泡に帰す。民主党は、30日の本会議開会を阻もうとピケを張り、衆院議運委員長の笹川堯らを議運理事会室に監禁。ピケ破りにきた自民若手とつかみ合いとなり、怒号が響き渡った。笹川らはひそかに窓から屋根づたいに隣室に逃れたが、与野党のにらみ合いは続いた。
 ところが、翌30日に事態は急変する。衆参議長が斡旋(あっせん)に乗り出し、与野党幹事長が暫定税率を担保する歳入関連法案に関し「年度内に一定の結論を得る」とする合意文を交わしたのだ。

■議長斡旋をほご
 与党はブリッジ法案を引っ込め、与野党に「雪解け」ムードが広がった。2月上旬、自民党幹事長の伊吹文明は東京・神田の小料理店に国対幹部を招き、慰労会を開いた。
 「いやー、うまくいった。すべて計画通りだ。ブリッジ法案は議長にお出まし願うための友釣り用のアユだったんだ」
 満面の笑みで語る伊吹を横目に、国対委員長の大島理森は苦虫をかみつぶしていた。「果たして民主党執行部に常識や良識が通用するか…」
 大島の嫌な予感は的中した。民主党は2月末の予算案の衆院強行採決を理由に議長斡旋をほごにしたのだ。
 首相、福田康夫は3月27日、緊急記者会見を開き、道路特定財源の一般財源化を表明した。「4月パニック」を回避するための大幅譲歩だった。
 「混乱を回避し、国民生活を守るという首相の責任を全うするために何としても野党のみなさんとの話し合いの機会を作らなければいけない」
 福田は切々と協力を呼びかけたが、民主党代表の小沢一郎はにべもなかった。
 「政府・自民党の言う通りにいかないと国民生活が混乱するという論理は、半世紀以上続いた長期権力のおごりであり錯覚だ」
 4月1日未明、ガソリンの暫定税率(1リットル当たり約25円)は期限切れとなり、全国で値下がりした。民主党は勝利の酒に酔った。

■日銀人事も一蹴
 もう1つ、福田を悩ませ続けた懸案は3月19日に任期切れとなる日銀総裁、福井俊彦の後継人事だ。日銀総裁が空席になれば、日本の国際信用力は一気に低下する。国会同意人事には、衆院の優越規定がないため、衆参両院の同意が必要。福田がブリッジ法案に難色を示し、強硬論を説く大島らに「話し合いを続けてほしい」とクギを刺したのも日銀人事が念頭にあり、参院で過半数を占める野党の機嫌を損なうわけにはいかなかったからだ。
 3月7日、福田は日銀副総裁で元財務次官の武藤敏郎を総裁に、京大教授の白川方明と東大教授の伊藤隆敏を副総裁に充てる人事案を提示した。だが、小沢の指令で、参院民主党は白川以外の人事を一蹴(いっしゅう)した。
 福田は慌てた。小沢とは事前に電話で連絡を取り、武藤の起用に「内諾」の感触を得ていたからだ。
 確かに2月中旬まで小沢は揺れていた。2月15日、小沢は元日銀理事で元衆院議員の鈴木淑夫を党本部に呼び、「政権担当能力を示すには武藤でもよいと思うが、党内の反発は強い。参ったな…」と苦悩を打ち明けたほどだ。
 だが、2月19日のイージス艦「あたご」と漁船との衝突事故で、国会はにわかに騒がしくなっていた。2月29日には与党は予算案を衆院で強行採決、民主党は再び徹底抗戦モードに切り替わった。鈴木から「総裁が欠員になっても副総裁が職務代行できる。慌てなくてもよいのではないか」との手紙を受け取っていたこともあり、小沢はすでに吹っ切れていたのだ。
 福田は3月18日、元大蔵事務次官で国際協力銀行総裁の田波耕治を総裁候補とする人事案を出すが、参院は19日に否決。4月9日に白川の総裁昇格が決まるまで戦後初の日銀総裁空席という異常事態が続いた。

■連立構想ご破算
 「話せば分かる」
 1月15日の記者会見で、こう言い切った福田の民主党への淡い期待は見事に裏切られた。
 福田の脳裏には平成19年10月30日と11月2日の2度にわたる小沢との党首会談があった。自民、民主両党の大連立構想を持ちかけてきたのは小沢であり、民主党内の内紛でご破算になったとはいえ、いつか再び小沢と真摯(しんし)に向き合える日が来ると信じていたのだろう。
 4月9日、福田にとって2度目の党首討論(国家基本政策委員会合同審査会)が開かれた。1月9日の初の党首討論では、福田は「まったく同感です」「ごもっともな話です」と何度も小沢に同調し、ラブコールを送ったが、この日は違っていた。
 「100日ぶりの討論ですが、お答えする前にぜひひとつお尋ねしたい」
 こう切り出した福田は日銀人事や歳入関連法案などに対する民主党の対応への怒りをぶちまけた。
 「昨年、お会いしたときは『一緒になってやらなきゃいかん』という気持ちだったと思うが、その気持ちを忘れてもらっては困る。(野党にも)政治に対する責任はあるのだから誰と話せば信用できるのかぜひ教えていただきたい。本当に苦労しているんですよ。かわいそうなくらい苦労しているんですよ…」
 これが福田の小沢との決別宣言だった。
 だが、国会混乱に対する批判は政府・与党に向けられ、内閣支持率は急落していった。4月27日の衆院山口2区補選でも自民党候補が惨敗。歳入関連法案が憲法59条の「みなし否決」規定により衆院再議決で成立したのは4月30日だった。=敬称略、肩書は当時
最終更新:12月29日8時16分


「崩れる権力の楼閣」狂いだした解散シナリオ
12月30日22時28分配信 産経新聞

 「国民生活を考えれば政治的な駆け引きで政治空白を生じることがあってはならない。この際新しい布陣で政策実現を図らなければならないと判断し、本日辞任を決意しました」
 9月1日午後9時半。東京・西麻布のクラブの液晶テレビに首相、福田康夫の姿が大きく映し出された。
 「これは大変なことになったな…」。顔を見合わせたのは、元首相の安倍晋三、元自民党政調会長の中川昭一、前経産相の甘利明。後の麻生政権誕生の立役者となる面々だった。
 この夜は選対副委員長の菅義偉も駆けつけ、幹事長の麻生太郎を囲む「NASAの会」を開くはずだったが、先に到着した3人は嫌な予感は感じていた。午後8時すぎ、麻生が「申し訳ないが会合に遅れそうだ。なんとか顔だけは出したいんだが…」と沈んだ声色で電話をかけてきたからだ。
 麻生にとっても福田の辞任は青天の霹靂(へきれき)だった。1日午後6時前、首相官邸に呼ばれた麻生は福田から唐突に辞意を告げられた。
 「この難局で続けていくのは難しいので辞めようと思う。後はあなたの人気で華々しく総裁選をやり民主党を打ち負かしてほしい」
 遅れて部屋に入った官房長官、町村信孝は必死に慰留したが、福田はさばさばした表情で振り切り、元首相の森喜朗らに電話で辞意を伝えた。ただ、公明党代表の太田昭宏には会見直前まで連絡しなかった。7月以降、福田政権を揺さぶり続けた公明党への意趣返しのようだった。
 福田にとって内閣改造後の1カ月間は次期政権に最も有利となる「引き際」を探る日々だった。福田は会見の最後で「『人ごとのようだ』とおっしゃるが、私は自分を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです」と言い放ちひんしゆくを買ったが、これは地位に恋々としない自らの美学を踏みにじられた悔しさから出た言葉だった。

 福田退陣を受けた自民党総裁選は9月10日に告示され、麻生、元官房長官の与謝野馨、元防衛相の小池百合子、元政調会長の石原伸晃、元防衛相の石破茂の5人の争いとなった。
 福田は総裁選を通じて自民党の支持率を一気に回復させ、新政権発足直後に解散するシナリオに望みをかけたが、思惑通りに事態は進まなかった。
 安倍、福田と2代続いた早期退陣に対して、世論からの「政権放り出し」との批判は厳しく、総裁選が「茶番」に映ったからだ。序盤戦で麻生勝利が固まってしまったことも総裁選が盛り上がらなかった一因だ。9月15日には米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)を機に金融恐慌が世界を襲い、「お祭り騒ぎをやっている場合ではない」と風当たりは強まった。
 22日、新総裁に選出された麻生はこう宣言した。
 「私に与えられた天命とは次なる選挙で断固民主党と戦うことだ。国民が抱える数々の不安に応え、国家国民を守る安全保障問題を堂々と掲げ、実行に移す力はわが党以外ない」
 24日、麻生は第92代首相に指名されたが、各種世論調査の内閣支持率は5割前後と伸び悩み、福田から受け継いだ解散シナリオは大きく狂い始めた。

 組閣、所信表明演説と一連のセレモニーを終えた麻生は分厚い冊子を険しい顔つきで凝視した。9月22~27日に実施した自民党の極秘世論調査の詳報だった。
 自民党は小選挙区146、比例代表69の計215議席。民主党は小選挙区141、比例代表73で計214議席と拮抗(きっこう)。公明党が現状31議席を維持すれば、与党がなんとか過半数を維持できる数値だった。
 だが、別添の「調査分析メモ」はショッキングな内容だった。
 相手候補に5ポイント以上差を付けた「当選有力議席数」は、自民党が小選挙区84、比例代表57~63の計141~147議席。民主党は小選挙区121、比例代表72~79の計193~200議席。5ポイントは少しの風で吹き飛ぶ差だ。米大統領選のあおりで「チェンジ旋風」が吹けば自民党は大敗しかねない。
 麻生はやむなく代表質問最終日の10月3日解散のシナリオを捨てた。次に麻生が狙ったのは、第1次補正予算を成立させ、第2次補正予算のメニューを示した直後の解散だった。麻生は10月10日夜、自民党幹事長の細田博之を都内のホテルにひそかに呼び出し、11月18日公示、30日投開票に向けた準備を指示した。
 だが、株価と連動するように支持率は下落の一途をたどっていった。「このまま総選挙に突入するとまずい」。そう考えた菅は猛烈な巻き返しを図った。
 10月16日夜、菅は中川昭一、甘利とともに都内のホテルで麻生を説得した。麻生は「おれはデータなんか信じない。勝負してみないと分からないじゃないか」と強気だったが、菅は「やっとの思いで政権を取ったのに何もやらずに政権を手放すんですか。自殺行為だ」と粘った。2時間後、麻生は「う~ん、悩むな…」と漏らし、この日を境に解散先送りに傾いた。

 解散が遠のくと、政権のほころびが目立ち始めた。「目玉」のはずの定額給付金では、所得制限をめぐり政府・与党は迷走。麻生の失言や連夜のバー通いもバッシングされた。民主党は再び牙をむき、元幹事長の中川秀直、元行革担当相の渡辺喜美ら反麻生勢力の動きは活発化した。
 自公連立もきしみだした。
 12月15日、自民党選対委員長の古賀誠は都内のホテルに各派事務総長を集め、こう告げた。
 「自民党は本来の支持層をまだ回復していない。比例代表への意識が希薄なんじゃないか。『選挙区も自民、比例も自民』でなければ自民党はますます弱体化する。連立は得るモノあれば、失うモノもある」
 選挙責任者が自公の選挙協力の見直しを示唆したことに公明党はおののいたが、実は伏線があった。
 12月12日、麻生は記者会見で「財政責任のあり方を示すことが責任政党の原点であり矜持だ」と述べ、平成23年の消費税増税を表明。公明党は猛反発し、ある幹部は「選挙時期も決められない人が、消費税の引き上げ時期を言えるのか」と言い放った。
 これに自民党は「ここまで公明党にコケにされてよいのか」と憤慨した。福田退陣に追い込まれた恨みもある。公明党がゴリ押しした定額給付金への不満も渦巻く。そんな公明不信の延長線にあるのが古賀発言だった。今後、自公の亀裂はさらに広がる公算が大きい。
 「一部に『選挙だ』『連立だ』『政界再編だ』という議論があるが、そんなことを言っている場合ではないし、あり得ない。私は国民生活防衛のためなら、どんな批判も恐れず何でもやり抜く覚悟だ」
 21年度予算案を閣議決定した12月24日、麻生は記者会見でこう述べたが、来年1月5日召集の通常国会で民主党が「最終決戦」を挑んでくることは間違いない。政界が濃い霧に包まれる中、自民党政権最後の首相にもなりかねない麻生。その姿は江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜と重なり合うとも言われる中、崩れゆく権力の楼閣をどう立て直そうとしているのか。=敬称略、肩書は当時。
最終更新:12月30日22時38分


政治メディアは迷走していないか
12月29日22時6分配信 産経新聞

 現役の政治記者時代、新聞の政治面には「ハコ」があった。新聞によってタイトルは違うが、政界のこぼれ話を3本ほど載せるスタイルはほぼ共通していた。
 各社とも若手の記者が交代で担当する。政党や首相官邸、各省庁などの担当記者に「ハコネタありませんか」と電話をかけ、材料を集めて軽いタッチで書く。若手の文章修業の場ともなっていた。
 土曜にはあまり動きがないので、自民党では当番の副幹事長が、「ハコ」向けの会見を行う。幹事長室のベテランスタッフがざれ歌などを用意しておき、これを自作として披露するのだ。いまなら「やらせ」として批判されてしまうのだろうが、そうでもしないと「ハコ」にアナがあいてしまう。
 この欄がいつの間にか消えた。その代わりに、かつてならば「ハコネタ」扱いであったはずのものが、重大ニュースとして報じられるようになってしまった。
 麻生首相の「高級ホテルのバー通い」「漢字の読み間違い」などは、さしずめそのたぐいだ。政治記者がまなじりを決して報じるような話ではない。
 臨時国会終盤で民主党が出した解散要求決議もそれに近い。憲法にも国会法にも規定はない。出すなら内閣不信任案だ。
 自民党の渡辺喜美氏が賛成して、これまたビッグニュースになった。これが政局転換につながるというのなら、大きな扱いとなるのもわかるが、その気配はまったくない。
 法的拘束力のない決議案を野党が提出することの不可解さもたださず、これに造反者が1人だけ出たことに大騒ぎする。そういう政治メディアとはいったい何か。
 処分を受けた渡辺氏だが、自民党内には逆に結束効果とでもいうべき現象が起きている。解散要求を葬(ほうむ)ったのだから、解散先送りが完全に容認されたわけだ。解散時期をめぐるそうした「力学」の変化をこそ見極めたい。
 宮沢政権崩壊時には野党提出の内閣不信任案に自民党から大量の同調者が出て、これが2つの新党誕生につながった。あのころのダイナミズムとは比べようもないのだが、最近の政治メディアの「局所肥大症型」報道は異様に映る。
 内閣支持率急落で「政権末期状態」と報じた新聞もあった。本当にそうなのか。そうでなかったのなら、大きな活字がむなしく見える。
 昨年、「大連立」構想が浮上したとき、ほとんどのメディアは「大政翼賛会だ」などと非難した。いま、来るべき総選挙後に大連立再燃の可能性が現実味を帯びている。
 昨今の政治メディアの迷走は、大連立の意味合いを理解できなかったあのときに始まったのではないか、などと年の瀬に考えている。
(客員編集委員 花岡信昭)
最終更新:12月30日0時18分


Comments:0

Comment Form

Trackbacks:0

TrackBack URL for this entry
http://coo.main.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/1932
Listed below are links to weblogs that reference
獅子身中の虫の居所。。。 from 空のつぶやき

Home > 01.時事寸評 > 獅子身中の虫の居所。。。

Search
Calendar
« 2008 12 »
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
Archives
Blog List

BlogPeopleに登録

ブログランキング・にほんブログ村へ

あわせて読みたいブログパーツ



Gallery


Counter
Feeds

Return to page top