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食育だけに留まらない、総合教育

今日の「噂の東京マガジン」(TBS)を見ていたら、名物コーナーの「知ってTRY 押しかけ社会見学」という企画でTRY娘と呼ばれる女子高校生が食品廃棄物のリサイクルを追っていた。
なんだか、数日前に読んだこの記事に似ている内容だった。

給食で学ぶ食の意味 残飯飼料→豚→食材

10/24 17:05

給食の食べ残しを豚の飼料にし、育った豚の肉を給食の食材として提供し、「食べる」ことの意味を考えさせる試みが神奈川県厚木市内の小学校で行われている。家畜など食べ物を生産する現場に触れる経験が乏しい現代っ子だが、「人間はいろいろな命をもらって生きている」などの感想が寄せられ、子供たちの心にも響いているようだ。(櫛田寿宏)

 名称は「給食残さ有効活用食育モデル事業」で、平成18年度から3年間、神奈川県が行っている。

 事業は県職員の提案で実現した。提案者の一人、県畜産技術センター普及指導部の関谷敏彦さん(47)は「食べものを粗末にするのはもったいない、と感じる心が失われてしまった。子供たちに食べることや命をいただくという意味を考えるきっかけをつくりたかった」と説明。「子供たちには値段やブランド名だけで判断するのではなく、本当に良質なものを選んで食べる大人に育ってもらいたい」という思いを込めているという。

 厚木市内の小学校23校から、給食を作る際に出る野菜くずと食べ残しのパンやご飯を回収。これを水分を減らすなどして加工し、飼料に混ぜて市内の養豚農家に持ち込む。

 農家は6カ月かけて豚を肥育する。出荷された豚は神奈川食肉センターで処理され、ソーセージに加工された後、食べ残しを回収した小学校の給食に提供される。

 各小学校では栄養職員らを中心にカリキュラムを組み、給食で食べたソーセージがどのようにして作られたのかを説明することで、肉を食べるということの意味を教えている。

 また、養豚農家で生産された堆肥(たいひ)は各学校に提供され、体験農園などで使用して、食の循環についても考えさせている。

 このほか、モデル校2校に対しては県畜産技術センターの職員が講師となって授業を行っている。

 北小学校では、ニワトリや生後1カ月の子豚を持ち込み、触れさせたり、聴診器で心臓の音を聞かせるなどして子豚が人間と変わらない生き物であることを体感させた。さらに、イノシシを改良して家畜の豚に変えた歴史を教えた。

 授業のあとに行ったアンケートでは、「ブタのしんぞうを聞いたときに、ブタも人間と同じでした」「子ブタを自分の手で持って、ブタの体温が温かいことがわかった」「ぶたはすぐ人間のためにいのちをなくすので、のこさずたべたいです」「私は動物が大好きなので、じゅう医を目指しています。この勉強をいかして、夢にむかってがんばりたいです」といった感想が寄せられた。

 指導に当たった北小学校の福満昭久教諭は「授業の前には豚がかわいそうだとって不快感を示す子供もいたが、授業を受けることで生き物である豚が自分たちの血肉になることを理解できた様子だった。これまで目にする機会がなくイメージできない問題を具体的にイメージできるようになったのは大きな収穫だ」と話してい


番組ではコンビニエンスストアで廃棄される食品がリサイクルで家畜飼料になる様が紹介されていた。
番組企画のコンセプトとしてはコンビニエンスストアでの食品廃棄が正当化されるような雰囲気があって、なんとなく“嫌な”感じを受けたけど、総じて間違った話をしている訳ではないと思う。


私が子供の頃住んでいた北海道のある街では、(当時の事なので)燃えるゴミは家庭やマンションで用意する焼却炉で各自が燃やしていた。
残飯などの生ゴミは“燃えないゴミ”ではあったけど、市が残飯回収をして養豚場などに餌として卸していた。
学校給食の残飯なども同様。
今では臭いの関係などで一般市民に嫌われて養豚場は郊外も含めて都市部近くには少なくなったので、“残飯”の方が多くて養豚場でも処理できないと聞いている。

小学生は社会科の授業でそういった養豚場を見学したり、残飯回収の課程を調査し研究発表したりしていた。
私が受けた学校教育は、社会科でも理科でも、児童が自分たちの足で調べて資料にまとめて発表するという授業があった。
今は塾や塾の宿題があるから学校の宿題を減らして欲しいという保護者がいるというから難しいのかもしれないね。
実際、blogで「子供を塾にやらなければならないのに、机の勉強以外に時間を取られる宿題は迷惑」と書かれたエントリーも度々読むから、そういう話も珍しい事ではないのかもしれない。
でも、教科書に書かれていたとしても、自分で調べる事の方が身になると思うよ。
本当に子供に“生きていく”智恵を付けたいのであれば、“頭”ではなく“体”で学んだほうがよっぽど為になる。
私の周りにもイイ年をして他人に解る様な資料を作る事ができなかったり、他人に自分の考えを伝える話し方を出来ない人も居る。
そういう人は職場で評価される事はない。
要するに出世はしない。
言ってみれば、座学を重視・強調する親御さんはお子さんの将来を潰している事になるのよね。。。
そんな事、お父さんや働くお母さんだって充分知っているハズなのに、自分の子供の事になると冷静に考えられないのかな?

そういえば、先日、子供の学力低下を抑えるために“総合学習”の時間を削減するという話が新聞に出ていた。
自分で能動的に学習する時間を減らして、英語なんかの座学を増やすらしい。
寧ろ、こういった自分で“調べる”学習を増やすほうが将来の為には価値があるのにね。
目的を達成するための“調べ方”から調べ、他人に解りやすく資料をまとめ、人前で発表する。
これ以上の“総合学習”ってないと思うよ。


って、話が逸れた(^_^;
捨てられる食品があるならリサイクルすることも当然大事。
それは食品に限らない。
そしてまた、食品のリサイクルが新たな命を育み、その命を人間が頂いていると子供たちに教えることは、昨今言われている「命の大切さ」を教える事にもなる。
命の大切さ、人間が他の命を頂いて生かされているという事をキチンと理解すれば、食品を無駄にする事も無くなるだろう。
テレビの一企画ではなくて、教育の現場でこういう事を取り上げて教えて欲しいと思うよ。

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