- 2007年11月30日
- 01.時事寸評
高松塚天文図で「未知の星座」 35年ぶり発見捕11月30日21時45分配信 産経新聞
高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室天井に描かれた天文図について、文化庁は30日、新たに8個分の星の痕跡が見つかったと発表した。「未知の星座」の可能性が高く、昭和47年に壁画が見つかって以来、35年ぶりの新発見となった。高松塚の天文図には描かれていないと考えられていた「北斗七星」などの可能性もあり、同庁はさらに調査を進める方針。
この日、東京都内で開かれた高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会で報告された。
天文図の星は直径1センチの金箔(きんぱく)で表現され、これまで125個分を確認。北極を中心に、四方に各7個の星座が規則正しく配置していると考えられてきた。
石室解体後、修復施設で石材を調べたところ、星座「奎(けい)宿」と北極の間に星4個分の金箔の一部や痕跡を発見。合わせて「箕(き)宿」の近くに1個分、「翼宿」の近くに3個分の星の痕跡も見つかった。
宮島一彦・同志社大学教授(東アジア天文学史)によると、箕宿は今回の発見ですべての星がそろい、奎宿近くの4個の星については北斗七星ではなく「勾陳(こうちん)」などの星座とも考えられるが不明という。宮島教授は「新たな星の発見によって、かえって天文図の規則性が崩れることになり、一気に謎が深まった」と指摘する。
一方、飛鳥美人像などで確認された下描きの痕跡は、北壁の四神像「玄武」など計6カ所にのぼることも分かった。最終更新:11月30日21時45分
高松塚古墳の壁画が発見されたのは小学生の頃だった。
かなりセンセーショナルな報道の仕方に、「これって凄いことなのかも?」と思った記憶がある。
ただその頃は余り疑問に思わなかったけど、大人になるにつれ疑問が湧いてきた。
何故、西洋で認識されていた“星座”が極東の日本で“星座”として認識されるのが不思議になってきた。
でも多分“星座”の形は違うのだろうなと、今は思う。
それでも一晩中位置が変わらない北極星だけは、“絶対”なのだろうな。。。
北極星を中心にした星座が北斗七星や大熊座と同じではないにしても、北極星を中心とする星の並びが“星座”として日本でも認識されていたのは確かなんだよね。
古代の日本人に“星座”と言う感覚があったのが不思議で、また嬉しい。
まぁ、古代だと言っても、当時の日本は既に文明国だった隋や唐と交流があったのだから西洋の文化が入っていたとしても不思議でもないか(^^ゞ
それにしても。。。
北斗七星が古代の日本で描かれていたとしたら、それはそれでかなり浪漫を掻き立てる。
そして、現代日本では空が明るすぎてなかなか見つけ難い星だけど、北極星が北半球の何処の地域に住む人にとっても重要な星だったのは確かだったのだと改めて思う。
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