- 2008年4月18日
- 01.時事寸評
聖火リレーって何のためにあるのだろう?
善光寺が出発地を辞退=「チベット弾圧」理由に-ルート変更へ・長野聖火リレー4月18日13時12分配信 時事通信
長野市で26日に開催される北京五輪の聖火リレーで、出発式が行われる予定だった善光寺は18日、リレーの出発地を辞退する考えを市に伝えた。市はこれを受け、ルートを変更することを決めた。チベット問題への抗議から、聖火リレーは世界各地で計画変更や混乱が続いており、長野でも開催日を目前に控え、コースが見直されることになった。
長野市役所に同日午前、善光寺幹部らが訪れ辞退を申し入れた。
理由について、記者会見した善光寺事務局の若麻績信昭寺務総長は「チベットの宗教指導者が立ち上がり、それに対し弾圧しているので、仏教の寺として考えた」とし、文化財や一般信者の安全上の問題に加え、チベット問題が理由であることを明らかにした。
辞退は同日午前の特別会議で決まったといい、善光寺の総意だとした。
住職の1人は18日朝、取材に対し「われわれはチベット人と同じ仏教徒との気持ちが強かった」と話した。
長野市は新ルートについて「週明けでは間に合わない」としており、早急に検討し土日にも決めたい考え。「できる限り変更のない形で考えたい」としている。最終更新:4月18日16時25分
小学3年生の時、札幌オリンピックの聖火リレーコース沿いにあった小学校に通っていたお陰で、聖火リレーが小学校の前を通る時には授業が中断されてリレーを見に出かけた。
子供だった当時は聖火リレーを観にいきたかった訳ではなく、多分教師の“滅多に見られない聖火リレーを見せてあげよう”という心遣いだったのだと思う。
でもね。。。
子供心には、何のために外に出たのかも解らず、ただ日の丸の小旗を振って人が走るのを見ていたに過ぎない。
それも“人”が私の前を通るのは、ホンの一瞬。
その頃の私は、オリンピックの意義すら知らない子供だった。。。(^^;
でも、それから30年以上を過ぎても“聖火リレー”の意義を見出せない。
“オリンピック”の意義を“宣伝”しなければならなかった時代ならイザ知らず、オリンピックが4年に1度のスポーツ産業の大品評会になっている今どきのオリンピックに“聖火リレー”の“宣伝”は不要。
であるなら、“聖火リレー”にどんな意義があるのだろう?と思う。
中国の人権侵害問題やチベット問題に目を瞑って開催される事になった今回のオリンピックにおいて、開催直前や開会式直後など色々なタイミングで“中国国内”での反発活動やそれに対する強権発動は想像に難くない。
中国国内、特に北京で開催されるオリンピックであるならば、オリンピック関連行事の数々に、中国が“反民主的”な国家である事を表現する“反発行動”があるのは想像できる事でしょ。
これを想像できないとしたら、それは余程の“お気楽”か中国の民主化政策の詭弁に騙されているのかのどちらかでしょ?
少なくとも“中国”でオリンピックを開催する事を決めたのであればIOCが“聖火リレーの中止”か、聖火リレーで起こりうる反発への対処を考えるべきでしょ。
オリンピックは奇麗事でないことは周知でしょ?
オリンピックは政治と商業に左右されている事は周知でしょ?
だったら、そういうオリンピックを主催するIOCが負う責任は“奇麗事”ではないでしょ?
なにのIOCったら危機感がなさ過ぎるよ。
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