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日本人って議論できるのか?

先日、ある情報提供サイト(一般には“ニュースサイト”というのかな?)に私のエントリが取り上げられた事でこのblogへのアクセスが一時的に急激に増えた事を書いた。
その同じサイトで紹介されていたこんなタイトルのエントリが気になっていた。

 ブログで議論ができないのは、ブログという技術に人間が追いついていないから
 ウェブにある限り、いつもそこにある - 更新を止めたサイトからのリファラを見て


この2つのエントリが気になった直接の原因は、妹が年末にblogを辞めた事なんだろうなと思う。

以前から、blogについては私自身思う事もあるし、日本にインタラクティブに議論する文化が無い以上アメリカ的なblog(=Web Log)は根付かないと思っているので私のこのblogも長くblog(アメリカ式のWebLog)ではなく“日記”だと言い、“日記”に拘っていた。
今は、日本のblogはアメリカ式のWebLogとは全く性質が違うもので日本のblogは日本式の“日記”だと思っているから、ここも納得して“blog”と呼んでいる。

インタラクティブを基本要素とする“blog”というシステムが“日記”という観点・視点でふさわしいのか否かは議論があるべきだとは思うけど、基本的になんらかの(日常雑記的な)文書を書き&時にそれを公開ことが文化として根付いている日本人にはWebでの文書公開に特別知識を必要としない“blog”(システム)はお手軽な“日記ツール”であったと思う。
妹もblogをアメリカ式のWebLogとして使っていたのではなく、単に日記として使っていたに過ぎない。
フリーランスで仕事をしている妹にとっては、“仕事”を紹介しているHPや仕事への考え方を含めて彼女の日常を伝える“日記”はある意味仕事上の“ツール”だった事も確かだと思う。
そんな彼女がblogを辞めたのは、(公式的には)日々の更新が面倒になった事とアダルトサイトからのスパムが多くなったことらしい。
彼女はTrackbackは止めていたから、“スパム”というのははアダルトサイトからのスパムコメントだったのだろうと思う。


以前、blogとSNSの“日記”について、全く正反対の意見を同時期に聞いた事があった。
1つはblogでは“誰に読まれているのか安心できないが、足跡で誰が読んでいるのかを把握できるSNSの日記は安心して書ける”と言うもので、もう1つは“更新もないのに(SNSで)足跡が付いているのをみるとコメントへの返信や日記の更新を催促されているようで落ち着かないから(足跡が気にならない)blogの方が気楽に更新できる”と言うもの。
どちらにも理はあるしそのどちらを重視するのかはそれぞれの価値判断なので、私はそのどちらがイイと言うつもりはない。
ただ、私が感じるのは、エントリを書く人も、コメントを書く人も書かれた人も、エントリやコメントやコメントへの反応を大きく意識しているという事かな。


書いているのは“日記”であってあくまでもアメリカ式のWebLogではないと長く言ってきた私でも、“日記”がコミュニケーションツールの1つであることは大いに感じているし、コメントやTrackbackと言う形で“日記”に反応をもらえるのは嬉しい。
それが例え“リンク”だけで読んだ人の感想が判らないものだったとしても、どういった形でも書いたエントリに反応があるのは意外に嬉しいものよ。

だからこそ私は、コメントやTrackback、メールといった手段で読んでくれる人とのコミュニケーションを外してはいない。
(借りているレンタルサーバの性能の問題で、私が更新しやすい時間には、Trackbakcが出来ない事が多いのだけどね。。。(^_^; )
そういう意味でも私が参加しているSNSでもこのblogは公開やリンクしていて、SNSのメールやコメントでエントリへのアクションがある事を期待している部分はある。
以前、私の日記経由で他人に対して攻撃的な人からコメントが来たりするので私の日記に表立ってコメントするのは控えたいとか、(それは相手が私の事を嫌いなのだろうけど)私のblog経由で人が読みにくるのがイヤなのでリンクされたくないと言われた事があったので、(私自身が多分に意識過剰なんだろうけど)表にでないような形で意見を言ってもらえるようにメールでも意見をもらえるようにしている。
無責任な嫌がらせを言われるのは私も不本意なので、Web拍手のような完全匿名なツールは用意していないけどね。

ただ、そういう“読者さん”とのコミュニケーションツールが幾つもあったとしても、“議論”できる人って意外に少ない。
感想を言ってもらえる事は多いけど、“議論”という形になることは少ない。
反対や独自の意見がある人でも、せいぜいが2、3回のメールのやり取りで尻すぼみになってしまう。

私自身も、学生時代には一応ディベートの技術は学んだけど“議論”はそんなに上手くはない。
私以外にも、ネットの掲示板やblogで意見表明している人でも“議論”は案外苦手な人が多いようで、最後は相手のテリトリで“嫌がらせ”コメントを書くか喧嘩別れのようになって終ってしまうのをしばしば見受ける。
私も出来るだけ“喧嘩別れ”にならないようには気を使っているつもりでも、必ずしも思うような結果に落ち着いているわけえではない。
お互いが歩み寄れない、合意に達しないかもしれなくても、それぞれが自分の意見を表明して互いに議論できれば結果平行線でも良いと思うのだけど、最後は意見を受け入れない相手を“心が狭い”と非難しあって終る事もある。
最悪の場合は、「何を言おうと私の自由。価値観や意見は多様なのだから自分の意見を(あなたは)受け入れるべきだけど、私はあなたの意見などは受け入れない」と手前勝手な結論になってしまって相手のblogに口汚い非難を書き散らす人も居る。
もっとも、こういう人は最初から“議論”する気はない、たんなる“文句言い”なので相手にするのは時間の無駄なのかもしれないけどね(苦笑)

“時間の無駄になる議論”と言えば、昨年はこういう経験もあった。
ある人がトラブルへの対応を私に依頼した。
彼女は私の勤務時間などはお構いなしに「至急対応して!」という。
彼女の“対応”の結果私が受けた損害については、「(それが起きたと知ったのは自分の)勤務時間中だったので対応できなかった」と言い訳。
私に対しては私の勤務時間などお構い無しに自分の都合だけで“至急”と言い、自分は“勤務時間”だった事を理由に他人に損害を与えた事を正当化するという対応に、私もキレてしまって「随分、勝手ね」と言った処、「貴女と議論する時間はない」とシャットアウト。
この最後のシャットアウトまでに何度かやり取りがあって感情が拗れたのであればともかく、本当にこの3回のやり取りだけでこの反応だった。
そんな経緯から私は、彼女に議論する時間がないのではなく彼女に議論する技術がないのだと思った。
たった2つの“例”しかあげなくても、こういう人って特別ではなく、そこら中に居るように思う。

ネットで“日記”を書いてきて私もそろそろ6年。
その間には無茶な議論を吹っかけるひとも居れば、議論もせずに自分の言い分だけを押し付ける人も居た。
さらに、反論を吹っかけてきながら議論になる事を厭う人もいた。
長く色々書いたけど、結局は日本人がまだそれ程“議論”慣れしていないという事なんだと思うな。
blogというツールがどうであれ議論苦手な日本人が使いこなせていないだけなんだろうと思う。
って、長々書いて、結論がこの2行って。。。私自身が論理的ではないという事だよね。。。(^_^;


私の周りでこの年末を境にblogを辞めたのは、実は妹だけではない。
幾人かの事例を見ると、単純に“blog”というツールに振り回されている人が多いのかもしれないと思う。
そういう人はblogのインタラクティブな特性に、“特に”馴染めないでいるのだと思う。
そういったblogの特性が“日記”を書く上での重荷になっているのだろうと思う。
そういった人の幾人かが単純に他のサイトやSNSの日記に移って書き続けている事を見ても、書くことはイヤではないけどその反応への対応がイヤなのだろうと思う。
もしかしたら、Trackbackやコメントを“不可”にするだけで解決できるような事例も無いわけではないし、blogのテンプレートに特定のタグを書けば済む(そのサイトではそういうタグを許している)に過ぎない事も多いものね。











妹が日記を辞めたのは本当に残念に思う。
日記を辞めるに当たって彼女は、「読んでいるのは極少数の身近な人たちだけだから」と言っていた。

近くに住んではいるものの中々話す機会のない妹の日常生活を知るのは、ある意味、私自身が安心できたから。
身内だから、彼女が忙しくとも安全で安心な暮らしが出来ている事を知ることは私にも安心だったから。

最近の彼女の日記には“悩み”は感じられるけど、精神的な“緊張”と空(から)元気という“ムリ”が感じられた。
もしかしたら、そういう“ムリ”が彼女に日記を書かせる事を重荷に感じさせたのかもしれない。
近しい人に“元気な姿”を見せなければならない事が“ムリ”を強いたのかもしれないと思う。

日記って、近しい人が読んでいると書きにくい事も多いものね。
ネットによくある夫の不倫に悩む日記や離婚に至る悩み・経緯を書いた日記のように、身近な人が全く読んでいないという前提ならば心の内の悩みもあけすけに書けたとしても、身近な人が読むと判っているものには書きにくいだろうなと思う事もあるものね。。。
肉親である私はともかく(私ににも知られたくない事も多いだろうけど)、仕事関係者やお客さんには知らせられない事は彼女のblogには書けないものね。

ネットの文字を通してしか彼女の生活を知ろうとしなかった姉も“何だかな。。。”なんだけど(^_^;)、姉としては妹が開放されて伸び伸びと生活できる事を祈っている。
私自身はこうやって日々を書き散らかす事で気持ちを安定させている部分があるから、妹がそういう(心置きなく鬱憤を吐き出せる)場を他に見つけたり、そういう場が必要なくなったりしたのであれば、日記を辞める事も“良かったね”と言えるんだよね。。。


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