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李下に冠を正さないのが、政治家の素養

このニュースを聞いた当初は、この発言の何が問題なのか解らなかった。


成田反対派は「ごね得」=日教組批判も-発言後に撤回・国交相
9月25日21時50分配信 時事通信

 中山成彬国土交通相は25日、報道各社のインタビューで、成田空港反対派の住民について「ごね得」などと批判した。自身がかつて文部科学相在任中、全国学力テスト導入を提唱した理由に関しても「日教組の強いところは学力が低いと思ったから」と発言。いずれも撤回したが、関係者の反発を招きそうだ。
 中山国交相は、反対派住民との対立が続く成田空港について「ごね得というか、戦後教育が悪かった。公共の精神というか公のために自分を犠牲にしてでもという(気持ち)がなく、自分さえ良ければ(いい)という風潮で、拡張ができなかったのは残念」と語った。
 日教組をめぐってはほかにも、教員採用をめぐる大分県教育委員会の汚職事件を引き合いに「日教組の子どもは成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力が低い」と述べた。 
最終更新:9月25日23時16分


私自身も、成田空港という、世界に名立たると言うか、類をを見ない“しょぼい”国際空港を作らざるを得なかったのは、ごねる事で“利権”を得ようとした人が居たからだと、思っているから。
ハッキリ言って、成田空港はその“しょぼさ”故に“日本の恥”でしかない空港で、千葉県が雇用やその他の税収目的に成田空港を維持したいのは解るけど、乗客の利便性や“国益”を考えたら、現在の成田空港ならば、寧ろ無い方が国益の為には良い位。
成田が“反対派住民”のためにこれ以上の整備を望めないなら、羽田空港を日本の第一の玄関として拡充した方が良いと思う。
なにより、成田空港の“しょぼさ”の原因は、一重に(「ゴネて少しでも遅く売った方がカネになる」と扇動された)住民の“ゴネ”であって、言い換えれば“国益を損ねたのは一部の住民の(利益を狙った)ゴネ”が主因。

同じく、日教組も。
ただ、日教組の組織員の子供が、成績の如何に関わらず教師になれるかと言えば、そうではない。
でも、“子供に勉強させるのは可哀相”という日教組が力を持っている県の教育レベルが低いのは、傾向としては見て取れる。
というか、“学校は子供に勉強を強いる場所ではない。テストの成績で測れるような勉強をさせるのは悪”と(当時、高校生だった)私の前で言った日教組職員が教える学校の“学力”が高いはずがないと思うよ。
彼らは、教師は勉強をさせるモノではないと言っていたし、「勉強したいならば学校ではなく塾に行けばイイ」と、言い換えれば“学校は勉強を教える場ではない”と公然とい言っていたのが日教組だった。
跳ねっ返りに私は、「じゃ、学校って、何のためにあるの?」と、思ったけど、大学に入るための内申書に傷をつけない為に、学校では勉強もそこそこに過ごしていた(苦笑)

学校では成績の悪い人に合わせた授業をするので、定期テストで“取りたい点数”を取るのは簡単だった。
内申書で(5段階評価で)4.5点以上を取るのであれば、定期テストで90点を取ればいい。
でも、テストはクラスで1番理解の遅い人が(限りなく100点近い)80点以上を取る事を目標に設問されている。
クラスで1番理解が遅かった訳ではない私が、そういうテストで100点近い点数を取るのは簡単で、逆に言うならそんな教育は、何処で“手を抜こう”と思うような“不遜”な生徒を作っただけだった。
高校生の私は転校生だった事もあって、通っていた学校では“教えなくても”(学校としての)進学率を上げる生徒であったから、高校では“勉強をしなくても(校内では)“成績優秀”な生徒だったからね。
“成績優秀”といっても学校の中だけで、行く大学が決まった後に転校前の高校の友人と会った時に「なんでそんな(学力レベルの低い)大学に行くの?」と不思議がられたのだけどね。。。(^_^;

で、私が進学した大学に対する評価の違いって、そのまま“日教組”の“強さ”の違いと一致する。
転校前の学校は日教組組員が殆ど居ない学校(県)で、子供の学力向上にかなり力を入れていた。
ところが、転校後の学校は日教組がかなり強い学校だったから“(無理強いして)勉強させるのは悪”という学校だった。
前者は1~100番位はテストの度に変化するので、100番位ならハーバードやスタンフォードはムリでも東京大学には入学できた。
(ハーバードやスタンフォードは、大学が指定する“それなり”の高校を出ないと入学できないので、私が行った高校からの入学はムリでした 苦笑)
一方の私が転校した先の高校では、学校は勉強をする場所ではなかったので(?)、学校で1番の成績をとった学生が現役で東大に受かった時には大騒ぎだった。
って言うか、騒ぐぐらいなら、最初から“勉強させない”なんて言わずに勉強させれば良かったのにね(苦笑)

話はかなり逸れてしまったけど、成田空港の問題にしても日教組の問題にしても、中山大臣の発言は“まさしく!”。


民主党や社会党は支持母体や出身母体が日教組だったりするので、日教組批判は受け入れられないのだろう。
(そういう意味では厚生労働省の年金記録にかかるサボタージュも近いものがあると思うのだけど、これに関しては“責任”の所在が政府だから与党自民党の責任に転嫁できているのね。)
でも、“言葉狩り”は下品なだけだと思うけど?

ただ、野党が下品だというだけでもいけない。
大臣になったのならその言動は揚げ足を取られることを前提としなければならない。
そういう意味では、中山大臣は配慮が足りなかったのだと思う。
日本が“単一民族”というのも発言の前後関係をみると“日本人が排他的”という理由を端的に表現しようとしたものの様に思える。
でも、少なくとも、大臣になったのであれば他人に“(自分の)意図しない解釈をされない”配慮ができて当たり前で、そういう配慮をできない人を大臣に選ぶべきではないと思う。
何事にも、“李下に冠を正さない”のが、政治家としての最低限の心得だと思うから、発言の何が悪いのかを理解できない私でも中山大臣の罷免・更迭には反対しないな。

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