- 2004年12月 2日
- 01.時事寸評
昨日は皇太子の長女、敬宮愛子内親王の誕生日だった。
誕生日にあわせて、マスコミ各社は「女性天皇」についての報道を始めた。
その殆どが、「容認」なのかな。
個人的には、天皇が男性でなければならない理由が解らないから、女性の天皇もイイじゃんと思う。
昔と違って、天皇といっても権力の象徴ではないからねぇ。。。
でも、以前の美智子妃や雅子妃の様子を見ると、天皇にならない事が幸せな事なのかもしれないと思ってしまう。
もっとも、生まれながらにああいう環境にある人と、ある日突然環境が変わってしまった人の違いはあって、生まれ着いてのものであれば、幸せも不幸せも考えることはないのだろうけどね。
でも、そもそも「皇室」って日本人にとってどういう存在なのだろう?
祖父母が生きていた頃の祖父母の家には先祖(といっても諸父母の両親だけど。。。)の写真と共に、天皇・皇后両陛下の写真が飾ってあった。
特に思想的に偏った家という訳ではなかったから、その年代の人の家庭では普通の事だったのだろうと思う。
もっとも、天皇は“神”と教えられてきた人だからね。。。
今でも被災地などへ天皇や皇后が出かけていくと、お年寄りの方には涙をながしてありがたがる人も少なくない。
そういった意味では、天皇が“現人神”ではなくなった今でもその存在意義はあるのかもしれない。
でも、戦後、戦争責任を天皇とするある種の思想を持った人達に教育された私たち世代は、特に左翼と言われる思想を持っている訳でない人にも「天皇不要」論は多い。
税金を使って、あの一族を維持する必要があるのかと。。。
となると、あと30年もしたら、被災地に皇族が見舞いに来ても涙を流して喜ぶ人は居なくなるかもしれない。
10数年前のテレビドラマの科白じゃないが「同情するなら金をくれ」と言われるのがオチじゃないだろうか。
そうなったら、本当に「天皇」と言う存在が必要なのだろうか。
勿論皇室の仕事は被災地への見舞いだけではない。
でも、外交面はともかく、皇室行事の中には今時、本当に必要なの?と思うものもある。
例えば、天皇の田植えや皇后の養蚕など。
そりゃ、明治の時代には、豊作を祈って天皇が田植えの真似事をするのも意味があったかもしれない。
あるいは、皇后が蚕を育てて繭から絹糸を紡ぐ真似事に意味があったかもしれない。
ある種、時代の要請だったのだと思う。
でも、今の時代にそんな事にどんな意味があるのだろうか?
天皇が皇居の中の狭い水田で田植えの真似事をしている報道をテレビで見て、「ありがたい」と思う人がいるのだろうか?
農業従事者でない私には何の感慨もないし、農業従事者が見れば素人手つきが目に付くだけなんじゃないだろうか?
先日の新嘗祭だって、多くの人は単に「勤労感謝の日」として“自分の仕事が休みの日”と思うだけなんじゃないだろうか。
個人的には皇室はあってイイと思っているが、皇室はもう神事を司る必要はないんじゃないかと思っている。
神事だけでない。
皇室行事の中には、伝統と文化の継承という意味合いの行事も多いらしい。
でも、半世紀前まで天皇が神であったために一般には公開されない行事も多い。
一般に公開されないような行事って本当に必要なのかな?
1つの家系にしか継承されず、他人の目に触れないような行事であればそれはもう廃止しても良いのでは?と思うのは乱暴すぎるだろうか。
先日、秋篠宮は会見で「公務」について「自分でつくるものではない」と、「公務とはお仕着せ」と言うような発言をしていた。
皇室が国民の象徴であるならば、皇室の方にも「人」として幸せであって欲しい。
仕事はお仕着せで、自由度も裁量権もないと言うのでは人として可哀相だ。
皇室というものが、其処にいる人の幸せを奪うものであるならば、皇室なんてなくてもいいんじゃないかと思う。
天皇が男性か女性かを議論する前に、「皇室」とは何か、私たちは皇室に何を期待するのか、そして本当に必要なのかを議論すべきなんじゃないかなと思う。
それにしても、愛子内親王が天皇になったら、お1人で田植えと養蚕をするのかなぁ。。。(笑)
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