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25年後の感傷。。。

今日12月8日は何の日?

去年までのこの日記には、先の大戦の開始の日といわれる「真珠湾攻撃」の日と書いていたように思う。

今朝、たまたま見たテレビのワイドショーで今日はジョン・レノンの25年目のメモリアルの日だと言っていた。
あれから25年も経ったのね。。。


私は未だ高校生だった。
(一応)受験生という多感(?)な時期だった。
そして、誰もが1度は通るの道だとは思うけど、私の音楽への興味の入り口はビートルズだった。
そして私の拙い英語もビートルズが入り口だった。
その頃既に「ビートルズは古典か?」という議論があった。
で、その、ビートルズの楽曲を作った、作詞作曲の多くはジョン・レノンだった。








3年10ヶ月も日記を書いていて、ジョン・レノンについて書くのは初めてだと思う。
というのも、ジョン・レノンについては、私は大方の人より知識がないから。。。






私が初めて、“ビートルズ”に出会ったのは、中学校の必修クラブで入っていたESSだった。

ESSと言えば“英会話”のサークル。
私が1年生の時のESSの顧問は、部員に英語検定を受けさせるために“発音”には心を砕いていていたようだった。
2年生の時の顧問はタイプライターを教えてくれた。
これが、(今では妹には20年も仕事でキーボードを使っていて、その程度?と、バカにされるが)少なくとも、私がキーボートを使う礎にはなっている。
でも正直言ってこの2年間の記憶は殆どない。


3年生の時の顧問は、それまでに比べて年配の女性教師だった。
その顧問が私にビートルズを教えてくれた。
その頃の私にとっての“ビートルズ”は、“ずーとるび”と言うグループが「ビートルズの名前を逆さまにして名前をつけた」という程度の知識しかなかった。。。(^_^;
そんな私に、その顧問(教師)はYesterdayやHonestyなどの海外アーティストの歌を英語で歌えるように教えてくれた。
って、今じゃもう英語で歌う事はできないが。。。(^_^;

ミッシェルや、レット・イット・ビーなども当然レパートリーにある。
ベイ・シティ・ローラーズが流行っていた頃にビートルズなんて。。。
以前から好きだった人はともかく、ミーハーな“外国好き”な女の子には、ビートルズはあまり興味の対象ではなかった(ハズ 笑)。

それから暫く経って、私が海外アーチストに興味を持つようになった頃、ジョン・レノンが殺された。
私は高校3年生だった。


高校1年の時、当時高校で教わっていた英語の教師が書いた本を買った。
彼は、フルブライトの留学候補生だった時にケネディが暗殺されて留学の機会を失った。
次の機会にまた留学生となる権利を得たので“失った”は正確ではないが。。。

中学生の頃は遠い夢だった外国とビートルズが、高校生になった私には「もしかして近づけるかもしれない夢」になっていた。
勿論遠い夢には違いないのだけど、そのフルブライト留学候補生だった教師が、当時“夢”に近かった海外生活を身近なものにしてくれた。
“努力”が報われれば行ける処にしてくれたのだった。
いや、海外(英語圏)を“努力”さえすれば行けるチャンスがある場所だと教えてくれたのだった。

当時でも都会に居た人には海外はそれ程遠いものではなかったのかもしれない。
でも、生活レベルだって日本人としてはそう悪くはなくても、地方の田舎暮らしでは諸外国と比べると“貧し”かった。
国内旅行でさえ“贅沢”だった時代に外国旅行なんて贅沢の極み。
私費留学だって特別なお金持ちだけが出来る事で、国外に出るなんて、所謂“庶民”には公費留学がせいぜいだった。
さらに、当時は海外に持ち出せる外貨は500ドル(だったと思う)。
当時は1ドルが360円だったけど、1回の渡航で500ドル(18万円)では、とても海外で“優雅に暮らせる”額ではない。
そういう意味では、“海外”は“憧れ”と同時に“夢”だったのよね。。。


そして、そんな“海外”の象徴であるビートルのジョン・レノン。
そんな彼が冬の1日に暗殺された。
憧れ中の憧れだった人が殺された。


アーチストとしては“過去”の人だったのに。。。
その音楽は“古典”に分類されかけていたのに。。。
一気に近づいて、壊れた日。

正直、ショックだった。
何がショックだったのかも解らないほど。。。(^_^;







あれから25年も経ったのね。。。
何だか感慨深い。


今から18年前のある日、ロンドンのハイドパーク駅(地下鉄)で偶然にオノ・ヨーコさんに出会ったの思い出す。
当時のオノ・ヨーコさんは、“芸能人”ではなかったけどオーラのある人だった。
バブルの最中であったその時は、それまで“外国”が夢だった私でも自分の貯えの中で外国に旅行に行けるようになった年だった。








“25年”と聞いて、なんとなく感傷にひたってしまうわ。
私にとっての古きよき時代の感傷に。。。

Comments:4

ARDBEG 2005年12月 9日 10:38

そうそう

ジョンが暗殺されたのは受験の頃だった。
呆然とした記憶があります。
同時にイマジンの曲が巷に溢れた記憶もありますね。

あれから25年か。
つい数年前のような気がします。

COO 2005年12月10日 03:52

そうですね。
イマジンが街中に溢れて、反戦ムード一色になったのを覚えています。
そして、ケネディの時と同じような捜査が行われたことも。。。


もう25年も経ってしまいました。
時間の流れは早いですね。
私たちの年代の者が一番時の流れを受け入れ難いらしいですが、
私も、“もう”25年という感じです。。。

まる 2005年12月10日 21:41

"そのニュースを知ったのが"なのか"そのニュースを聞いて"なのかもうはっきり覚えていませんが、自分はレコード店にいてジョンのレコードを見ていたのを記憶しています。
25年と言うと四半世紀、そのレコード店も無くなりましたし、そのレコード店が入っていた百貨店も経営権が変わってしまいました。
自分の意志で洋楽を聴き始めて直ぐのことでした。

25年間あったらジョンはどんな音楽を作り出して、そしてその中の状況にどんな発言をしんだろうか。
と思います。

COO 2005年12月11日 01:01

>まるさん
 ジュアンにはそうでもなかったみたいだけど、
 ヨーコ・オノとの間の子のショーンが生まれてからは、
 政治的なメッセージ性が音楽に織り込まれるようになったとか。
 「華氏911」ムーア監督以上の「現政権」批判の音楽を作っていたかもしれませんね。

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