- 2008年2月 3日
- 06.日常雑記
節分の今日は大雪。
千葉では初雪でも初積雪でもないけど、
この景色、以前にもblogに載せたような気がする。
最近の積雪といえば先月のこの日なのだけど、この日にはこんな画像はないし積雪は東京では2年ぶりと言うから、2年前の大雪だったこっちの日だったのかな?
いや、景色そのものがデジャブな気がするから、きっともっと前の日記だね。
このvol3より前の日記は、画像の保存場所にしていたサイトから画像を削除されてしまったから画像が見られない上に、Vol1は日記を書いていたサイト閉鎖と共にそれまでのlogをすっかり削除してしまっているから見られないのよね。。。
この2枚の画像で、千葉でも雪が降っているのが解るかしら?(笑)
世の中には海岸の砂の1粒を見てその粒が撮られた場所を特定できる人が居るらしいから、この画像で私が何処で撮ったのかも解ってしまうのだろうね。。。
っていうか、そんな事より、私は京都に行って「京都って電線が多い」と感じるのだけど、こうやって見ると千葉も電線が多いね。
千葉は都市計画が進んでいると思っていただけに、ちょっとガッカリ。。(^_^;
雪を見ると心が騒ぐというのは子供の頃。
今ではすっかり“猫”状態で、出来るだけ外に出たくない感じ(^_^;
イヤ今でも、スキー場なら雪が降っていてもゲレンデに出て行くけどね(笑)
っていうか、子供の頃は冬=雪景色だったから、雪が降っているから心が騒ぐ訳ではなお。
強いて言えば、誰にも踏まれていない雪があるのが嬉しかったのかも。
すっかりオバちゃんになってしまった今では誰にも踏まれていない雪はイイ写真になるかも?と思っても、特別心騒ぐものではなくなったのかな?
明日の朝になったら私より早い通勤の人の足跡がるのだろうと思いながらも、写真を撮りに行くのも億劫になっているものね。。。
とりあえず、明日の朝は、雪を被った菜の花だけは撮ろうかしら(笑)
そういえば、駅前で寒緋桜の蕾が膨らんでいたんだった。
雪を被った桜の蕾も撮れるかな?
って、そんなに早い時間には起きられそうにないな。。。(^_^;
だって、桜の木がある場所は早い時間から朝日が当たるから私が通勤するような時間には雪がなくなっているだろうと思うもの。。。
雪国であれば道路には融雪装置がついていたりするのだけど、流石に千葉ではそんな設備はない。
まぁ明日まで降り続くという事は無いだろうからこの辺の裏道でも明日には雪はなくなっているだろう。
雪が残るのは1日中日陰になる部分だけかな?
でも都市計画が五月蝿いこの辺りでは、1日中日陰になるような場所って少ないものね。。。
明日は子供たちも学校がある。
折角の雪なのに、子供たちが雪で遊べる暇があるといいな。
小学校の通学路は2キロ近く続く田んぼのあぜ道のような道だった。
お正月に実家に帰った時に、母と、私が小学生の頃の話をした。
私の父は転勤族だった。
母は雪国の育ちではないけど、私は父の仕事の都合で雪国育ちだった。
私が小学生の頃、大雪が降った。
1時間か2時間の間に雪が40cm以上降り積もった。
その日は、子供の下校時間に合わせて保護者が通学路を除雪したのだった。
当時住んでいた住宅は地域の住宅街からは離れた場所にあって、同じ住宅に住む小学生は40人に満たなかった。
兄弟姉妹が居るから世帯としては子供がいる世帯は20世帯ぐらいだったろうか?
父親は当然仕事中なので、各家庭の母親(当時のその集合住宅では共働きの家庭は少なかった)が約2キロの通学路を雪かきしたのだった。
学校から自宅までは田圃の中の1本道で殆どあぜ道のような場所で、除雪車は愚かそんな雪の日は通学に使わざるを得ない子供たち以外は通ることのない道だったから、親が除雪しかなかったのよね。
4つ下の妹はそんな除雪された道を素直に歩いて帰ったのだと思う。
当時、5~6年生だった私達は、わざわざ除雪されていない雪の中を歩いたような気がする。
それでも、身長140cmを超える子供の膝を10cm以上は超える雪道を2キロも歩く体力はなく、直ぐに除雪された道に逃げたのだろうと思う。
というか、たった20人で2キロもの道をスコップで除雪する母親って凄いなと、今では思う。
お正月の母との話も、「よくそんな事が出来たね」というものだった。
多分“母”だから出来たのだろうと思う。
“母”ではない私は、雪道を2キロもスコップで除雪しろと言われても出来ないと思うもの。
母親たちが除雪した道を歩いていた頃は、母親たちのそんな子を思う心遣いも“ありがたい”ものとは思っていなかったんだね。。。(^_^;
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