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都心でイースター島を見た(笑)

丸ビルが5周年記念だとかで、丸ビル界隈は8/31~10/31まで色々なイベントが執り行われている。
その中の1つに、「日本・チリ修好110周年記念事業として、モアイ像が丸ビルに展示されているので、会社の帰りに寄って見た。

モアイ像1モアイ像2モアイ像3

個人的に雰囲気があると感じる後姿を2枚載せてみる(笑)


モアイ像ってもっと大きなものだと思っていたけど、展示されているものは高さ3m、重さ6tと、思い描いていたものよりやや小ぶり。
おまけに“目”があって、さらに違和感。。。
モアイ像の後ろに展示されていた布製のパネル(?)を見ると、この像は最近になって作られたものだとか。
で、“目”は“モアイ像”に霊力を付与するために珊瑚で作るものだとか。
勉強になるね。。。(^^;


東京駅の地下コンコースでモアイ像展示のポスターを見たときには、「あのモアイ像をどうやって東京まで運ぶの?」と思った。

学生時代を渋谷で過ごした私には渋谷駅にある「新島モアイ像」が“モアイ像”の記憶の原点。
新島にある“モアイ像”はイースター島にある“モアイ像”に通じるというのが、最初の知識。
その後、“モアイ像”とは“彫像”の事で、特定の“像”を指すものではないと知った。
ただ、渋谷の駅前にある“モアイ像”は“顔”の部分しかないのに3m弱の大きさ。
ポスターで見る限り、“頭”だけでなく“胴”もあるその姿に大きさはどれほど?と思ったりした。
とは言え、Marucubeに置ける程度だから、高さが30mを超えるものではないのは解る。
でもある程度の大きさは期待して見たから、案外小さかった。
って、3mだから30mを期待したら、1/10だものね(笑)

さてさて。。。
“モアイ像”の後ろにあったパネルを読む(実は、時間軸とは逆の流れで読んでいたらしい。。。)と、このモアイ像は「文化復元」と言うか、“環境破壊の前線”であるイースター島にあって未だ“原住民”の信仰を維持している人たちがいるのを知った人が信仰の対象としての“モアイ像”を作成したのだと説明があった。
最後の文章に「地球をイースター島にさるのか?」とあった。
訳文だったから、「地球をイースター島にするのか?」か「地球はイースター島にされるのか?」となる処なのだろう。
どちらにしても“気になる”文章ではある。
文章の流れでは、イースター島を“環境破壊”の代名詞のように捉えられるのだもの。
寡聞にして、イースター島を“昔ながらの伝統的な文化を守っている島(民族)”だと思っていたので、イースター島が“環境破壊の前線”にあるとは思っても見なかった。

さらに(逆を追って)パネルを読むと、折角“力争い”の収束方法を見つけたのに、17世紀にオランダ海軍提督のヤコブ・ロッゲフェーンがイースター島を発見し、その後18世紀から19世紀にかけて島民は奴隷としてヨーロッパに出て、19世紀にまた戻ってきたもののその時はヨーロッパから天然痘などの病気を島に持ち込んだ事によって(推定)1万5千人居た島民が111人まで減ったとか。
次(それ以前)のパネルでは、島には争いが絶えず、最後には竈の煮炊きにも“木”ではなく草が使われたとあった。
???
意味が解らん。。。

解らないまま更に遡ると、9世紀にポリネシア人がイースター島に辿りついた頃の島は木々が溢れる島だったらしい。
基本的に海洋民族であるポリネシア人は木を切って丸太船を作るし、煮炊きの槙にした。
さらに部族間の争いの中で“焼き討ち”のような事もあって、“木”が損なわれたのだという。
“木”がなければ“水”も不足し、地中に“水”を蓄えて置くことができなければその他の植物も育たないので食料にも燃料にも困る結果になる。
折りしもエルニーニョ現象で海での漁もままならず、島民は飢餓に直面したことによって生き残りの為に部族間の力争いが勃発したとか。
う~ん。。。
確かに、現代の“温暖化”が辿るといわれている道筋に似ているかも。。。
もう1つ前に遡ると、イースター島にたどり着いたポリネシア人が信仰の対象として石の像を作ったのがモアイ像の始まりだとか。
あぁ、そうか。
だから新島にも“モアイ像”あるんだ!
って、遡らずに、順を追って読めよ!って感じだよね。。。(^^ゞ

生活環境の良い島に移り住んだ人たちは、漁や生活全般の神様の代理として像を作ったのが“モアイ像”で、資源の浪費をした民族は島の自然環境を破壊して、しまいにはより高度な文明をもつ民族の奴隷になり、民族として絶滅の危機に瀕した。
というのがストーリーらしい。
となると、先の「地球をイースター島にさるのか?」は「地球をイースター島にするのか?」なんだろうな。


今日のパネルで面白かったのは、パリにこの「モアイ像」を展示した際にヨーロッパ人に「このモアイ像は“本物”ですか?」と聞かれた事。
パネルには、続いて「西洋人には過去が歴史で、島の人には今が歴史だ」と書いてあったけど、私は少々違う意見を持つ。
いや、この人のいう事も感覚的には理解できる。
でも、このモアイ像が“信仰の対象”だという事を考えたら、それは宗教と信仰の違いなのだと思う。

偶像崇拝しないクリスチャンには“モアイ像”とはイースター島にある6~9世紀に作られた“建築物”に過ぎず、この時代でも残っているという“古さ”と“保存状態”に“文化的な価値”があるだけ。
一方、“信仰の対象”を“像”という形で具現化する事で頒布をもする東洋人にはどれも“本物”としての価値がある。
例えば、“仏像”と言った時、一般的な日本人なら奈良の大仏も鎌倉の大仏も近所お寺にある仏像も“仏像”であって“信仰の対象”になりうる。
極端に言えば、自宅の仏壇にある“仏様”を見て、「この仏様は本物の仏像?」という疑問を持つ人は殆ど居ないと思う。
建築物としての“文化遺産”じゃないからと言って、自宅の仏壇にある“仏様”を“ニセモノ”という人は殆どいないと思う。
そういう意味では、信仰の対象にあった“像”に対する意識って、クリスチャンが多い西洋人と偶像でも崇拝する東洋人では大きく違うのだろうな。

そういう文化、宗教、信仰といった側面から離れた今日の示唆は、広い宇宙の中では孤島に過ぎない“地球”の中で資源の浪費と資源確保の為の争いをする事は、同じように狭い孤島の中で資源の浪費と資源確保の為の争い端を発して滅亡の危機に曝された島(=イースター島)の二の舞になるというもの。
対策の為に何をせよという具体的な示唆はなかったものの、100年以上前に今の地球を示唆する現象があったことが興味深い。
私たちって、地球が生まれて以降のどの“地球時間”に過ごした生命体より文明が進み知識があるように錯覚しているけど、100年ちょっと前の、どちらかというと私たちが“原始文化”と呼ぶような人たちの歴史や経験にも学んでいないという事なのよね。。。
なんだか、かな~~~り、ショックを受けた。


でも×2
面白い事に、イースター島って、キリスト教の復活祭であるイースターの日に発見された事からこの名前で呼ばれるのよね。
言い換えれば、島の名前は“復活”を意味するという事。
これまでの辿った道を考えるとかなり意味のある名前を持つ島の、今後の復活にも興味があるわ。





写真でこの「モアイ像」を見たときは、何で舌を出しているのだろう???と思ったのよね。
実際に見てみると決して舌を出している訳ではないのに、写真でみるとやっぱり“舌”を出している(笑)

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日本・チリ修好110周年記念事業「モアイ像展示」 ちゅうことで行ってきましたよ。モアイ像を見に。 いつものごとく、たどり着く手前からご覧にいれようぞ。 ...

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