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「屈辱」なのか?「名誉」なのか?

「謝る」という事は、それほど屈辱なのだろうか?
権利や義務が生じるような状況ではないのに、自分が発した言葉が原因でトラブルになった事について事態収拾を図る事がそんなに屈辱的な事なのだろうか?


先週のオフ会の中であったある事柄がきっかけで、トラブルが持ち上がった。
事態収拾の為に責任者が「トラブルの原因となった人にペナルティーを与えた」という書き込みをした。
私はそういう風に書き込みをすることがトラブルを余計に大きくするのだと思うし、その書き込みには別な者に責任負わせるように解釈できる表現があったので、「もう少し、静かな対応はできなかったのか?」と責任者にメールを送ったら、「騒ぎが大きくなったのは私が書き込みしたからではなく、トラブルを起こした当人がコミュニティを辞めたから」とトンチンカンな返事が返ってきた。

私としては、「書き込みをせずに事態を収拾する方法はなかったの?」という気持ちでメールをした。
(その思いはその人には通じなかったようだった)
さらに、解釈によっては私に責任があるようにも読めたし、それを読んだ人の中にはトラブルの事情を解らずに私自身に問題行動があったようにに解釈をする人もあった。
だから、ペナルティの対象は私も?という気持ちも当然あったよ。
で、続いて、表現の不味さを指摘した処、「私が書いた意図と違う解釈する方が悪い。他にそういう解釈をする人に対しては、私が(個別に)注意をする。」という回答。

言葉なんてバックグラウンドを共有していなければ、「読者が、書いた人間の意図を完全(書いた人間の意図どおり)に理解できる」事なんてありえないのに、「意図を正確に解釈できない方が悪い」とは随分手前勝手なお言葉。。。
その後のやり取りを経て、謝罪文を掲示したとのメールがあって、「私は自分が悪いと思えば謝るけど、今回は納得して謝った訳ではない」と繰り返し書かれていた。

メールを貰った後、そのメールの通りその責任者が「書き込みに一部誤解を招く表現があった」という文章を掲示板に載せたのを確認した。
やり取りの中で、何もかもを“他人が悪い”と言うその人にウンザリしていたのと、その人が年齢なりの常識を持ち合わせていない事を知ったので、私もそれ以上をその人には何も言うつもりは無い。
事態の収拾策としては、私も“責任者からの謝罪”そのものが目的だったわけではなく、責任者の“意図”を明確にする事が目的だったので、書き込みの内容の一々には不快感もあるものの、文章の凡その趣旨は目的を達成したものと納得できるものだったからね。
まぁ、“不愉快な部分に”文句を言った処で、他人を自分の使用人以下にしか考えていないその人には「私に“意見”するなんて、COOさんは分不相応な不届き者」と言われるに決まっているものね(苦笑)


日本には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるように、頭を下げる(謝れる)人に高い評価を与える文化もある。
掲示板などで公に「あなたの書き込みは、不愉快な書き込み」と書かれる前に、「自分の書き込みによって、不愉快な思いをさせた人がいるので謝る」と書けばその人自身への評価も上がるだろう。
メリットはあってもデメリットはないだろうに、何をそんなに悔しがる必要があるのか?と思う。
これも養老猛氏の言う「バカの壁」(乗り越えられない価値観の壁)なのかな?


まぁ、その人のやり取りの最後の捨て台詞を読んでその人の本質が具間見られたので、私はその人と「お友達でなくて良かった」と思っちゃった(^^ゞ

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