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若くウブだった頃の記憶

友人の「初めての一人旅」日記を読んでいたら、彼女の緊張振りに20年前の初めての海外1人旅を思い出したよ。


1人旅というのは、大学を卒業するときに初めて経験した。
友人と行くはずだった「萩・津和野」へ、急遽友人の都合が悪くなって1人で決行したのだった。
それまで、過保護な親、過保護な友人に囲まれて、1人で何かをすることは殆どなかった。
喫茶店で紅茶を飲むのにも、紅茶ポットからカップに注ぐのが“危ない”と友人がしてくれるような頼りなさ(^^ゞ
自分では“何でもできる”と思っていたけど、周りの人には“危なっかしい”と思われていたのね。
そんな私でも、本人は2、3歳の子供のように“1人で出来る”と思っているのだから、友人が旅行に行けなくなった時に“中止”ではなく“決行”を選択した。
その時の旅行は特に大きな問題も起きずに地元の人と触れ合いながら楽しく過ごせた。
それがいい思い出になって、2度目の海外旅行に一人旅を選択させたのかもしれない。


初めての海外旅行は妹の卒業旅行に合わせた2泊3日の香港旅行だった。
私も妹も始めての海外旅行という事で、全行程添乗員付きのコースだった。
夜にちょっと女人街に行ったのが唯一の冒険だったかな(笑)

2度目の海外旅行はロンドン。
当時のロンドンは東京と同じぐらい治安がイイと言われてたから、旅行先としてはそれほど心配はしていなかった。
心配だったのは、私が英語を殆ど喋れない事。
喋れないんじゃ、外に出ることも出来ない。ホテルで引きこもりになってしまうかも。。。
なんて、友人に言ったりしていた。
バブルも後半に近かったた当時、友人達は年に2回は海外旅行していたし、当然1人でも行っていたから、「英語を話せないからといって、それほど心配する事ないよ」と言ってくれていた。
まぁね。。。「したい」事がはっきりしていたら、目も耳も口もあるのだから何とかなるよね。

確かに行ってみたら、心配は何処かに吹き飛んでいた。
5日間の滞在中に、行きたかった処には行けたし、観たかったものは観られた。
ウェストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、大英博物館、マダムタッソー蝋人形館、金融街シティー、郊外ではウィンザー城、オックスフォード大学、シェークスピア生誕の地であるストラトフォード・アポン・エイボン、ストーンヘンジ、古代ローマ温泉街のバース、ミュージカル「オペラ座の怪人」、ロイヤルアルバートホールのプロムナードコンサートetc。。。に行ったな。

コンセルジュや旅行会社を使わずに、自分で電車を調べ、地下鉄を乗り継ぎ、現地のチケットショップでチケットを取った。
ウィンザー城に行くときは、乗るつもりだった電車が発車直前で運休になって駅員さんに代替の電車を教えてもらい、乗り換えた電車で息子さんに旅行を招待された老夫婦に親切にしてもらった。
チケットショップでは、表にオペラ座の怪人のポスターが貼ってあるのを見て、「これが見たい、チケットが欲しい」と言った片言の英語が通じた。
かなりのプレミアムを払ったけど、それでも席は特等だった。
24時を過ぎた帰りのタクシーで、チップを払おうとしたら「子供からはいらない」と断れた(^^ゞ
こんな時間に子供が出歩いている訳はないけど、余りに学生風ないでたちの私に同情したのか(それでもロンドンでは高級な方に数えられるホテルに泊まったのに。。。)、おチビな私に「子供」と言って返してくれた。
まぁ、その2年後(27歳)に行ったNYでも子供扱いされてお酒を出してもらえなかったから、本当に子供だと思われたのかもしれないけどね(^^ゞ


それから暫くは、海外は友人との旅行が殆どだった。
やっぱり、言葉に不安があるものね。

でも、仕事で北京に行くようになって、仕事場の人以外とは全く言葉が通じない体験をした。
取ってもらったホテルは「英語/日本語可」なのだけど、英語が通じるのはフロントとラウンジのコーヒーショップだけ。
日本語は、部屋の「非常口」への案内とホテルのお土産屋さんの表示だけで実質的に全く通じない。
そんな中で、“意志”さえあれば言葉が不自由でも通じるのだと知った。
何かをしたい。何かが欲しい。という意志さえあれば、言葉は無くともそれは通じるのと知った。
お陰で、次にパリに1人で行くときは、あまり不安は無かったね(苦笑)
フランス語は、アン・デュー・トュロゥワしかしらなのに、余りにお気楽?(^^ゞ


でもね。。。
初めて訪れる場所は、日本でも海外でも不安。
それでも、何をしたいか、何が目的かという意志だけしっかりしていれば、何とかなる。
あとは、犯罪や事故に巻き込まれないように気をつけないといけないけどね。


友人の旅日記を読んで、私の若くウブだった頃の記憶が甦ったわ(笑)








さて、次はいつ、何処へ行こうか。
とりあえず、出かけられる可能性があるのは、2月の連休。
建国記念にちなんで、日本の建国の地にでも行くか?


Comments:2

まる 2006年12月21日 01:26

私は、Cooさんのこの日記を読んで自分の初めての一人旅を思い出しました。

私は、男だから一人旅はそれなりに早かったかもしれません。
高校一年の夏に北海道周遊券を片手に、夜行急行で青森に出て、そこから定番の青函連絡船。
青森に近づくと車内で車掌さんが、乗船名簿の紙(わら半紙みたいな紙)を配ってくれるんですが、もう心臓がばっくんばっくん(笑)
自分で行く!と決めたくせに「本当に遠くに来てしまったんだなぁ」と不安になったものです。北海道では、列車の中で泊まったり、駅前で野宿したり計画を殆ど立ててなかったので気ままな旅。1ヶ月近くウロウロしたっけ(^^;;;
海外旅行は、大学の2回生。最初からエアーチケット手配だけの一人旅でした。
一番安いアエロフロートで、アナウンスも聞き取れないし、これまた「しまった、ちゃんと英語勉強しておけばよかった!!」と後悔したもんです。
生まれて初めて降り立った外国の都市は、ポーランドはワルシャワ(笑)
日本人は周りに居ないし、英語も通じないし、空港から街に出るだけでエラク苦労しました。しかも、分らないから無銭乗車しちゃったし。
まぁ、どうしようもないから下手な英語と、大学で習った幼児レベルのドイツ語と、身振り手振りと"気合"で、宿を取り切符も取り、2ヶ月かけてポーランドからチェコスロバキア~ハンガリー~ユーゴスラビア~ブルガリアと東欧を縦断して、ちゃんと日本に帰ってきたんだから我ながら大したもんです。
チェルノブイリの事故後、3年も経ってなかったのでブルガリアでは変なものを食べないように注意はした記憶がありますねぇ~。
あのドキドキ感。
もう一度味わってみたいですね。
この都市になると、なかなか「お初」の出来事が無いのでドキドキもあまり出会えません。

COO 2006年12月22日 00:04

>まるさん
 初めてのドキドキ感って、独特なものがあるのでしょうね。
 まして、1人旅というのは、どんなアクシデントも自分独りで対応しなければならないのですから、
 心配は尽きないものです。
 でも、その分、達成感はありますよね~

 まるさんの東欧旅行の旅行記って読んでみたい気がします(^^)
 私は東欧は“拉致される”という感覚があって、未だにいけません。
 私との父と同じ職業だった父親を持つ人は何故か同じ感覚があるらしくて、
 これもある種の職業病なのでしょうか。。。(^_^;

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