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問題のすり替え

国立大学の学費が60万円で、進学させられる家庭が少ないと今日のNHKのニュースで言っていた。
これを今更の格差社会とでも言いたいのか?

国立大学の学費が高くなって、国立であっても子供を学校に通わせられないというのか?
そうではないだろう。
私は“お金”や“教育”に対する価値観が以前とはずいぶん変わってしまい、大学に行く資格のない人や行く気のない人をムリに大学に行かせようとした結果、以前は進学希望者に対する進学数が進学率の根拠だったのが、19歳の総人口に対する大学への進学者という算出結果にった為に進学する子供が少なくなったように見えるのかもしれないと思える。


私が大学生の頃、国立大学の学費が年間28万円だったが私立大学の平均学費は文系で年間80万円ぐらいだった。
私の実家は裕福ではなかった上、父が単身赴任していた関係で自宅から通える範囲にある国立大学しか学費は出せないと言われていたが、国立大学には合格できずに私立に通った。
私が通った大学は授業料は年間32万円だったので、進学を許されのだった。
浪人なんてトンでもないので、許されなければ就職するしかなかった。
育英会と大学からの奨学金で大学に通った父は子供に残せる財産は“教育”だけだと言っていたが、一方で“教育”というのは子供の側にも受ける資格が必要という考え方で、入学試験に受からなければ“進学する資格なし”と言われたのだった。
結果、私は大学に行ったけど、妹は専門学校に行った。
この場合“親”は同一なのだらか、最終学歴だけを見て(親の収入格差による)“学歴格差”とは言わないだろう?
では、学びたい教育機関で学べるだけの資質と努力があっても教育を受けられない人・学生って、今の社会でどの程度いるのか?


確かに、今は(お金さえあれば)総大学入学時代。
まるで高校や大学までが義務教育かのように、多くの子供がこぞって大学に行く。
大学に行くために、小中学生の頃から塾に行き、高校で少し遊んで、1~2年浪人して大学に入る。
親の収入で差がでるのは、大学の学費云々ではなく、此処までにかけられる教育費だろう。
NHKは大衆への迎合を目的とした問題のすり替えを行っていると言っていい。
でも、経済的理由で大学に行けないが問題というより、お金さえあればどんな人間でも大学に行ける事の方が問題だと思うよ。

大学入学までにまで散々お金をかけて教育された子供たちは、大学で4年またはそれ以上を遊んで過ごす。
彼らは勉強が目的ではなく、“大学生”と言う肩書き(?)のために大学を目指す。
そして、大学進学までに“充分勉強した”のだから、大学で勉強の必要はないとでもいうかのように勉学が学究とは別の世界で過ごす。。
さらに、学問追求ではなく“社会人”・“社会生活”へのモラトリアムという理由で大学院へ通って2年なり4年なりを過ごす。

親に収入があって大学にいけたとして、勉学に励む気の無い若者を“大学”という“社会人生活へのモラトリアム”に入れて、大麻栽培や所持・吸引、婦女暴行で逮捕されるような子弟を育てる事が教育なのか?
格差の無い社会、理想の社会なのか?
それより、子供を学校に通わせられない経済的事情を子供に明らかにして、働く事の難しさや厳しさを教えたり、奨学金を受けてでも勉強する覚悟を持たせるかの方が、ずっと子弟の将来のためになると思うけどな。

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