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藍色の月夜の思い出

私が中学生の頃から知っていた数少ない日本画家の平山画伯が亡くなった。
知っていたといっても、相手が有名人だから私が一方的に知っているだけの人。
なのに、何故だろう、なんだかとても寂しい。


日本画の第一人者、平山郁夫氏死去

12月2日13時59分配信 読売新聞

 シルクロードを描き続けた日本画家で、国際的な文化財保護に尽力した文化勲章受章者、平山郁夫(ひらやま・いくお)氏が2日午後0時38分、脳こうそくのため都内の病院で亡くなった。79歳。
 自宅は神奈川県鎌倉市二階堂120の14。
 広島県の生口島に生まれた。広島市内の中学に在学中、勤労動員先で原爆に遭った。1947年、東京美術学校(現東京芸大)日本画科予科に入学。卒業時に日本画科の副手に選ばれ、前田青邨(せいそん)に師事した。
 53年、院展初入選。原爆の後遺症の中で、仏典をインドから持ち帰った唐僧・玄奘を描いた59年の「仏教伝来」で注目された。さらに61年の「入涅槃(ねはん)幻想」などで釈迦への敬慕の念を表現する一方で、シルクロードを舞台にした「仏伝シリーズ」で評価を高めた。
 70年代のシルクロードブームもあって、平和への祈りを叙情的に描き出した一連の作品は幅広い人気を獲得。2000年末には「仏伝シリーズ」の集大成として、奈良・薬師寺玄奘三蔵院に「大唐西域壁画」を描き上げた。
 制作のため砂漠や高地を旅する中で、人類の遺産である文化財を守ることが平和につながるとの信念を深め、アフガニスタンのバーミヤン遺跡などの保護運動に取り組んだ。「国際文化財赤十字運動」を提唱し、88年にユネスコ親善大使に任命されたほか、国際会議や学術調査に奔走した。
 96年に仏レジオン・ドヌール勲章、98年に文化勲章、01年にマグサイサイ賞。母校の東京芸大学長を2度務めたほか、日本美術院理事長、日中友好協会会長など画壇内外の要職を務め、政財官界に幅広い人脈があった。2008年に北京とパリで個展を開いたが、その前後から体調を崩し、名誉職などを退任していた。

最終更新:12月2日13時59分


もう5年も前になるだろうか?
薬師寺で平山画伯の襖絵を見たことがある。
月夜のシルクロードを歩く三蔵法師の絵で、ラピスの藍色で表現された月夜が印象的だった。
優しさと神秘と崇高さを感じる絵の前で半日立っていた事を思い出す。
12月の終わりの寒い日で、お寺を出る時に降り出した雪は翌日には積もっていた。


そう言えば、初めて観た画伯の絵は青い森の中にいる白い馬だった。
多分、中学生になる前の事だと思う。
後で、あの絵を描いた人が平山画伯だと知った。

会った事もない人だけど身近に感じられるというのは、彼の描く絵に接した事があるからなのだろう。
芸術家って凄い仕事なのだと、改めて思う。


ご冥福をお祈りします。

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