- 2006年8月22日
- 06.日常雑記
邪馬台国やっぱり畿内?有利な証拠集まる古代史最大の謎とされる邪馬台国の所在地について、「畿内大和説」に有利な“証拠”が、近年の発掘調査で集まってきた。
邪馬台国が存在した時代(3世紀前半~中ごろ)に築造されたとされる奈良県桜井市のホケノ山古墳(全長80メートル)を中心とする大和地方の古墳と瀬戸内地方東部などの古墳との間に強い結びつきがあったことが明らかになりつつある。
2000年に発掘されたホケノ山古墳は、〈1〉墳丘が前方後円形〈2〉木槨(もっかく)内に木棺を納めた二重構造の埋葬施設〈3〉画文帯(がもんたい)神獣鏡など中国鏡の副葬――という三つの特徴があった。
一方、今年3月、徳島県教委などが調査した同県鳴門市の萩原2号墓は埋葬施設は未確認だが、全長25メートルの前方後円形で、3世紀前半の築造。その南50メートルにある同時期の萩原1号墓からは1979、80年の発掘で画文帯神獣鏡が出土している。埋葬施設は二重構造とみられている。
(読売新聞) - 8月22日16時59分更新
歴史好きなのだけど、その中でも特に古代史にはロマンを感じる。
邪馬台国が何処にあるかなんて、一番ロマンを感じるテーマ。
此処にリンクした「本棚」でも邪馬台国関係の本を少し載せているけど、実は背表紙に「邪馬台国」と書いてある本は手当たり次第に手に取っている(笑)
私は邪馬台国を九州にあるとする説を採っている。
畿内には古墳からの神獣鏡の出土その他で有力とする説が多いけど、畿内の多くの神獣鏡は複製品と思われ、必ずしも卑弥呼が畿内に居たという証拠にはならないもの。
個人的には、九州の日田に邪馬台国があったと思っているのだけど、最近、九州は部が悪いなぁ。。。
記紀の記述では、卑弥呼の時代に畿内には魏志倭人伝に書かれている邪馬台国のような豊かな地域はなかったと読めるんだけどなぁ。。。
まぁ、いずれにしても邪馬台国関連の新しい発見は、私にとってはワクワクする事だわ。
- Newer: 安全管理は企業だけの責任じゃない
- Older: やっぱり、今日は甲子園