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どやって上ったの?

弥生時代に高層建築? 鳥取の遺跡、物見やぐらか 7メートル超える柱

弥生人の脳みそ発見で知られる鳥取市の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡で、平成11年にみつかった長さ7メートル以上の木材が弥生時代後期(約1800年前)の建物の柱だったことが分かり、鳥取県埋蔵文化財センターが10日、発表した。

 弥生時代の柱としては最も高く、物見やぐらのような高さ5メートル以上の高床式建物があった可能性が高いという。

 鑑定した浅川滋男・鳥取環境大教授(建築史)は「魏志倭人伝に記された卑弥呼の宮室にあるという楼観は、こうした物見やぐらなのだろう。絵画土器や発掘された柱穴の跡から推測されていた楼観の存在が、初めて実証された。最も高い場合、10メートルを超える建物だった可能性もある」と話している。

(以下略)

(産経新聞) - 11月11日8時1分更新


今ごろニュース?というのが私の正直な感想。

というのも、鳥取県の隣の島根県にある出雲大社は、弥生時代には48mの高層建築物だったという記録がある。
出雲大社は、平安時代の記述でも「雲太、和二、京三」とあり、当時の日本では出雲大社(本殿)が一番大きく(高く)、二番目が奈良の東大寺(大仏殿)、三番目が平安京大極殿と記されている。
出雲大社の本殿は、記録のない伝承ベースでは108mとも98mとも言われているが、平安時代の記録だけでなく出雲大社に古来から伝わる「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」という設計図でも、高さ48mの本殿と109mの本殿に繋がる階段が記されている。
これは高さ45mの東大寺大仏殿より確かに大きいという事になる。
この設計図については長く信憑性が疑われていたけど、平成11年に出雲大社で「金輪御造営差図」に記された直径3mの柱の跡が発見され、専門家の検証でこの太さの柱であれば48mもの高さの建築物を支えられると検証されて俄かにその信憑性が高まっている。
出雲大社の本殿の高さについては未だ調査が続いているけど、古代の出雲大社の本殿が48mの高さのものだったとしたら48mもの建築物が作れる人々がいるほど近い所で7mの建築物が作られたとしてもなんら不思議はないと思う。

ただ、不思議なのは、その高さにどうやって人が上ったのかという事。
7mといえば、現代のマンションでほぼ4階、48mと言えば16階に相当する。
4階ならば階段を上る事もできるだろうが、16階を階段で上るのはそうとう大変だろうな。
毎日上り下りしていれば苦もないのだろうか。。。?
東京駅の地下駅から地上に上がるのにエスカレータを使っている私には考えられない話だわ。。。(^^;

Comments:4

たけ 2006年11月13日 19:20

昔の人はとんでもない物を作りあげてますよね~。

ユンボもクレーンも無いのに…

やろうと思えばなんでもできるんですよ、人間は!

って、車かバイクでの移動が当たり前になってる私が言っても説得力ないか……

まる 2006年11月13日 23:06

とりあえず、2000年に出雲大社から出土した大柱は平安時代末期から鎌倉時代初期のものみたいですよ~。となると、今回の弥生時代後期とは800年くらい差異があるから、実証できた証拠としてはまぁ、エエんじゃないでしょうか。
でも、吉野ヶ里遺跡等でも、復元図では物見櫓らしき絵は描かれているし「弥生時代に高層建築?」と驚いた調子で書く内容ではないですね(笑)
この記事を書いた記者さんの頭の中は「弥生時代と言うと、登呂遺跡」とかのイメージなのかな。
「金輪御造営差図」の柱の位置と、2000年に出土した大柱の位置は違うらしいから、それとは別にきっとあるんでしょうね。楽しみだ。
こう言う、弥生時代の物見やぐらの流れが宗教的な意味を持って、出雲大社の巨大建造物につながるのでしょうかね。


COO 2006年11月14日 00:33

>たけさん
 イースター島のモアイ像や、エジプトのピラミッドなど、
 現代でも制作や建築に苦労しそうなものを昔の人は人の手だけで作っているのですよね。
 人の力って不思議ですね。
 って、私も歩いて5分の距離を車で移動する身です。。。(^^ゞ

>まるさん
 そうなんですよね。。。(^^ゞ<金輪御造営差図」の柱の位置と、2000年に出土した大柱の位置は違うらしい

 > こう言う、弥生時代の物見やぐらの流れが宗教的な意味を持って、出雲大社の巨大建造物につながるのでしょうかね。
 出雲大社の“大社造り”と言われる建築物は構造が弥生時代のものよりちょっとだけ高度らしいですが、
 伊勢神宮の(唯一)神明造は弥生時代の建築物の流れを汲んでいるらしいですね。
 伊勢神宮は高層建築とはいえないですが、それでも倉庫としては大きなものです。
 (伊勢神宮は、弥生時代の“倉庫”の造りを模していると出雲大社は言っている)
 神話の世界では出雲の神様は天照の大御神に国を譲った事になっていますが
 神道の世界では、出雲の神と天照の大御神は微妙な関係なので、ちょっと使い分けてみたり。。。(^^ゞ

 話は逸れましたが、
 外敵から身を守る為の物見やぐらと、神を崇めて高いところに置く信仰が何時の時代にかに結びついて、
 神を少しでも高い処に置こうと思ったのでしょうね。
 そういった信仰心が建築技術を高めたのかなぁ。。。と思います。


 日本の弥生時代にはエジプトのピラミッドも出来ていたし、
 秦の兵馬俑も出来ていたのですよね。。。
 日本でも、掘っ立て小屋より高度な建築物が造れてももいいですよね(笑)

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