- 2005年1月28日
- 01.時事寸評
テレビを見ていたら、「街中(まちなか)にイノシシ」と題して、京都の観光地(銀閣寺近く)にイノシシが下りてきているとのニュースをやっていた。
先週だったかな、そんな記事がWeb新聞にも出てたね。
新聞の記事には、今年はドングリや木の実が不作で、イノシシが食べ物を求めて里に下りてくると書いてあった。
そういえば、人里に下りてくる熊の為にドングリを山に撒こうなんて運動をしていたグループがあったね。
そのグループは、“生態系を崩す”と言う批難に対して、「今回は緊急避難的措置だし、そもそも熊の生活環境を壊したのは人間なのだから」と反論していた。
今年は木の実が不作で山に食べ物がないから野生動物が人里に下りてくると言う人もいるけど、本来、野生動物はそう簡単には人里には下りてこない。
野生動物が人里に下りてくるというのは、人を恐れるハズの野生動物が人を恐れなくなった、人に慣れたという事。
これって、人がハイキングや山歩きをしたときにお弁当などを山に捨ててくるのが大きな原因なんだよね。
人が山に入って捨てる、“人”のニオイの付いた食べ物を食べる内に、野生動物が“人”のニオイに慣れてしまったのが原因。
それに、キツネやリスなどの“野生動物が見られる”を売り物にしている観光地や宿泊施設での“餌付け”も原因。
だから“餌付け”と同様の“ドングリ撒き”なんてもっての他で、そんな事をしたら人のニオイの付いた木の実を“エサ”として食べることに抵抗の無くなった野生動物は早晩人里に下りて、“人”からエサを貰おうとする。
“貰う”言えば穏やかだけど、“貰え”なければ人から奪うのは自明の理。
彼らだって“生活”がかかっているのだから。。。
“人”は農業によって食べ物を作るが、野生動物は自らは作りはしない。
其処にあるものを食べるだけ。
要するに、“人”に慣れた野生動物は人間が作ったものを食べる。
その結果、野生動物は、人間同様、本来の適正な個体数を超えて増えてしまう。
それが生態系を崩していくことになる。
物の本によると落ちているドングリを熊が食べることは無いらしいが、イノシシは食べる。
人間が“緊急避難”として森に撒いたドングリを食べたイノシシは、人里でエサを調達するようになり、やがて個体数が増えて森だけではエサが足りなくなり、また人里に下りてくるようになるという悪循環に陥る。
“熊が可哀相だから”と始めた運動が熊以外の野生動物の災難になっていないのだろうか?
まぁ、かのグループは、運動を始めて直ぐに、その運動をやめてしまったらしいが。。。
でも、もう一度考え直してみると、そのグループに限らず、観光客やハイカーが彼ら野生動物の生活環境を壊しているのは確か。
イノシシが人里や観光地に降りてくるのが迷惑だと言うのではなく、そして感傷的に“彼らが可哀相”というのではなく、冷静に彼らをキチンと山に帰す方策を考えなければならないよね。
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