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子供の教育以前に大人の再教育が必要

何となく眠れないまま、テレ朝の「朝まで生テレビ」を見ていた。
司会の田原聡一郎が好きでないので、この番組を見ているとイライラしてくるから、寝る前に見るのはあまり良くないのだけどね(笑)
今日は、夕方から飲み会があるのに、寝なくていいのかなぁ。。。(^^;


今日のお題は、「激論!こんな教育が日本を滅ぼす」だった。
(リンク先は、1週間程度で切れてしまうと思うけど。。。)
テーマとしては、

「2002年問題」などと揶揄された。「ゆとり教育」が始まって3年。
教育とは、即効性のモノではないにも関わらず、3年目にして既に、学力の低下のみならず、学習意欲の低下、学校外での勉強時間の低迷などなど、一見「ゆとり教育」の弊害とも取れる調査結果が報告されている。
「受験戦争」とはまた違った意味で、「学力の不安」が、親や子供だけでなく広く教育の現場にも蔓延しているように見える。

戦後60年が過ぎ、時代の移り変わりとともに、社会構造も大きく様変わりしている。
その様な中にあって「教育」も時代の移り変わりに振り回されているといった感じがしなくもなく、「そもそも、教育とは何のために行われるものなのだろうか?」という問に改めて立ち返ってみる時期がきているのかもしれない。

近年の「ゆとり」「学力」等の実問題もさることながら、戦後の日本教育の検証とこれから将来に向けの日本の教育はどうあるめきなのか?について、徹底討論したい。


田原総一郎は相変わらずの司会ぶり。
討論ではなく、自分の知りたい事、聞きたい事を中心に話を進めていく。
そして、パネラーの意見は途中で遮ぎる事は平気でも、自分の意見は「聞きなさい」と言う横暴さ。
これって“司会”って言うのかなぁ?
あれ、HPをよく見たら、“司会”の他に“進行”って役が2人も居るのね(苦笑)

話の流れとしては、「ゆとり教育」の是非と言うより、「個性重視教育」の是非に話しが振れた感がある。
子供の学校以外での勉強時間が減ったのは、「勉強しないのもその子の“個性”」と教育の現場が“勉強しない事”を肯定しているからと。
ニート、働かない若者ややる気の無い若者が増えたのは「教育」が悪いからじゃないかと。
。。。

最近の新聞報道では、「個性重視」の結果の、“「成りたい自分」探し”がニートやフリーター増加の原因だとあった。
要は、就職に当たり、周りの大人が、「“したいこと”を仕事にしなさい」だとか、「個性を活かせる仕事をしなさい」だとか言うものだから、“「成りたい」自分”が解らない若者が就職出来ないでいるというもの。

今の教育は、“失敗”や“負け”を許さない。
其処に大きな問題があるとも言える。
例えば、運動会で勝つものが居れば負けるものも居る。
でも、子供の時分に“負ける”経験をさせないために、勝敗のつく競技は減っている。
例えば、理科の実験では、時に失敗もある。
でも、教師が“失敗”のないように用意周到に準備する。
与えられた手順で失敗しないような実験をしても、“正解”しか得られない。
“負け”や“失敗”を経験したことの無い者は、“負け”や“失敗”を恐れる。
“負け”や“失敗”を経験したことの無い者が、“やってみて”自分に合わない事が心配で、仕事にも就けないでいる。

“教育”の目的が“自立”でなくなっているから、そうなんだろうな。。。
今は、どんな高等教育を受けても、どんな年齢になっても子供は自立する必要はない。
成りたい“自分”が見つかるまで、親御さんが面倒見てくれるものね。

でもなぁ。。。
何かを始める時に、最初から「自分は“どう”ないりたい」なんて明確に言える人なんて稀なんじゃないだろうか。
まして、18歳や22歳ぐらいで、この後の40数年先のビジョンを明確に持っている人なんて殆ど居ないんじゃないだろうか。。

私自身を振り返っても、最初の会社に就職した時は、SEなんて職種に配属されるとは思っていなかったし、大体、25歳ぐらいで結婚して、27歳ぐらいで最初の子供を産んでいると思っていた。
振り返ると、全く違う人生だ(笑)
でも、今の生き方が誰かに強制されたものではないし、SEと言う職種自体、私にあっていると思っている。
まぁ、天職だとまでは思わないけどね(笑)
周りを見渡しても。。。
例えば妹なんて、高校を卒業した時に就きたかった職業と学校を卒業した時に実際就いた職業は違うし、今就いている職業は、就職後にお稽古事をしているうちに見つけたものだ。
どんな仕事も夢と現実や適性は違うから、「合わない」と思っていた仕事が案外面白くやり甲斐をもてたり、「合う」と希望した仕事が全く適性がなかったりするものだ。
実際は「やってみなきゃ解らない」のだ。


そんな事を思いながらテレビを眺めていたら。。。
目が点になりそうな場面に出くわした。

その経緯は覚えていないが、田原総一郎が瑞穂ちゃんに
「貴女は、国の為に死ねますか?」
と聞いた。
瑞穂ちゃんったら、即座に
「死ねない」
と答えた。

すかさず、田原総一郎が
「貴女は政治家なのに、国の為に死ねないのか?」
と聞く。
瑞穂ちゃんったら、慌てて、
「私は、国民の為に命をかけて仕事をしています。」
田原総一郎が「国民は国そのものじゃないか」といった。
その後、2、3応酬があったが、瑞穂ちゃんったら、最後まで“国”と“国民”と言い分けていた。
そして、「命を懸けて仕事をしているが、その為には死ねない」等と、訳の解らない事を言っていた。

国の為に“死ねない”人を政治家にしちゃいかんよ。
そんな人に国政を託しちゃいかんよ。
まして、党首なんか持っての外。
“国”は“政府”でも“国会”でもない。
国民そのものなのだから。

日本って、こんな亡国の徒を政治家として掲げている国なんだよね。
子供の教育以前に、選挙権を持つ国民(大人?)の再教育が必要だわ(苦笑)

Comments:2

まる 2005年1月31日 21:58

"国家"と"国"をごっちゃにしているんじゃないのん?
彼女は、今の日本国と言う体制は嫌いみたいだからそう言う言い方をしたのかもしれないけど、お粗末だね。

それか、「*****の為に死ぬ」と言う表現に対して封建的とか、軍国的とか感じで反射的に否定的な反応をしたのか?
ま、どちらにせよ、田原さんの張った罠にまんまと引っ掛かったと言う訳ですな(笑)
田原さんは司会と思うと非常に不愉快ですが、アジテーターだと思ってみると稀有な才能の持ち主だなぁ~と思います。
しかし、まぁ、よく恥ずかしくも無く未だに社民党と名乗っていられるなと言う感想を、その政党存在自体に持ちますね(笑)

COO 2005年2月 1日 00:48

> 田原さんの張った罠にまんまと引っ掛かったと言う訳ですな(笑)

発言の経緯が少しずつ思い出されてきました(笑)


“規則を守らないのも個性”という話になって、
“社会性”の教育必要性に関する議論になったとき、
“社会性”の教育というと、規律を守らせると言う事になり、
それは、全体主義や愛国心につながると言う様な話をしていたような。。。

彼女の中では愛国心=全体主義と言う定義があったようですね。
それで、愛国心とは全体主義とは同じではないというような議論のなかで
国の為に~の質問になったような。

でも、私も、瑞穂ちゃんは田原田原総一郎の仕掛けに
上手く引っかかったと思います(笑)

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