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理念がなければ迷惑なだけ。。。

JRの駅に「春を1年の区切りと考える人が多い」と花見を誘うポスターが飾られている。
卒業式や入学式と、確かに春は人生における区切りを演出する季節だね。
私自身は北海道や北陸で入学式を迎えたので、入学式=春(≒雪解け)ではあっても、入学式=桜ではないけどね。
でも、今じゃ、北陸でもこの時期に雪は残っていないものね。。。(^^ゞ


今日は甥っ子の中学の入学式だったらしい。
会社では明日、“子供の入学式のために”休む人が多い。
甥っ子の学校は小学校の卒業式も、会社の人たちの子供が通う学校より早かった。
なんで、ここだけ違うのかな?

千葉には、というかウチの近所は、文京地区で高校や大学が幾つかあって、妹も息子をそのうちの一つの高校に入れたかったようだ。
“入れたかった”というのも、、今年中学生になった甥っ子が高校生になる頃にはその公立高校は中高一貫教育校になる予定で、高校から入る事はできないらしい。
学校や職場なんて“縁”のものとは言え、残念だったね と思う。


今日知ったニュースでは、品川区が今年度から区立の小中学校が一貫教育になる。
中学1年生が小学校時代との様々な“違い”に戸惑い、「中1ギャップ」と言われる現象を解消するための方策らしい。
でもね。。。
この一貫教育ってどの程度効果があるものなんだろうか?
いやそもそも「中1ギャップ」がどの程度子供に影響を与えるものなのか。。。


小学生から中学生になるとき、「大人になる」のだと思った。
小学生の時の「小学○年生」という雑誌に代わって、「中1コース」や「中1時代」という雑誌を読むようになる。
雑誌に記載される記事の質や文章に「大人扱い」を感じ、雑誌の定期購読のオマケの万年筆に「大人」を感じていい気になっていた。
同時に、それまでは年上の人は「お兄さん」、「お姉さん」と言った「“優しく”面倒を見てくれる人」だったのが、「先輩」と言う“怖い”存在になった。
日々感じるギャップが「大人」を感じさせるものだった。
そういえば昔の歌に、「大人の階段上る」というフレーズがあったね。
まさしくそんな感覚でいた。
そしてそれは多少の心地よさを伴っていた。
ダラダラとした坂を上るより、階段を上がるほうが“達成感”を感じられる。
だって、“ギャップ”があるのだもの(^^)

今回の品川区の一貫教育の目的にある「ギャップなくす」は果たして子供にとって良い事?
“達成感”ってギャップが大きければ大きいほど大きな喜びとなるのに、子供から大きな喜びを取り上げて小さな喜びを徐々に与える。
“ギャップを乗り越える”と言う訓練も教育もないままに高校や大学を卒業し、“ギャップ”を超える知恵も体力も耐性も無いままに時間が来れば新しい“ギャップ”に掘り込まれる。
そんな彼らは果たして幸せなのかな?
子供たちは日々与えられる小さな喜び(刺激)には直ぐに飽きて、別の“ギャップ”(=刺激)を求めるだけなのでは?
一貫教育にもっと大きな理念がなければ、それは子供にとっても有難迷惑なだけなんじゃないだろうか?

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