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文部科学省のコンプレックス?

小学校からの英語教育の義務必修化に関して慎太郎君が「国語の教育をちゃんとやった方がいい。国語を完全にマスターしない人間が日本語を通じて外国の知識を吸収できますか」といったらしい。
これに対して文部科学省の大臣の小坂憲次郎クンが、反発、批判の会見をしたらしい。
なんだかねぇ。。。

どちらかといえばネオ(?)の私は、慎太郎君の言葉に多少違和感を感じるものの、その言わんとする所には賛成。
まぁ、文部科学省の言い分としては、英語が国際(共通)語だから国際人たるためには英語を身につけようという事なんだろう。
確かに英語は国際社会での共通言語には違いない。
でも、母国語を満足に使えない人が英語でしゃべる事が出来たとして、それが国際人?
しゃべれられる言語で国際人って規定されるのだろうか?
日本語をまともに話す事もできないような高校生や中学生、幼児でも日本人でしょ?
同じように、英語を上手く話せなくても、国際社会に参加していれば“国際人”の資格はあるでしょう?

でもね。。。
少なくとも私は、日本の文化を知らない人、語れない人に(日本人の)国際人とは言って欲しくないと思う。
通っている学校の校歌を知らない人をその学生か?と疑うのに等しく、日本の地理や文化を語れない人に日本を代表する人間か?と疑われても不思議はないと思う。
「否、私は日本を代表してはいない」と言う人もいるだろうけど、外国に行ったら、相対する外国人はその人を見て“すべての日本人”を判断する。
そういう意味では、日本を1歩出れば誰もが“日本の代表”になるという事。
あぁ。。そういう意味では、日本の文化を語れない人には海外旅行にも行って欲しくないとも思うのよね。


最近流行りだと言う「国家の品格」という本。

photo
国家の品格
藤原 正彦
新潮社 2005-11


たまたま、昨日の日経朝刊にその広告が掲載されていた。
その中でちょっと気になってメモしていた部分。。。本当は昨日これに関して日記を書きたかった(笑)
眠気には勝てなかったけどね(^_^;)

国家の品格

 ・論理より情緒
   論理には出発点が必要。その出発点は仮説であって、論理は論理だけで完結しない。
   正しい論理を選ぶためにも論理以前の総合力=情緒が必要

 ・英語より国語
   英語を小学校から教える事は日本を滅ぼす最も確実な方法。
   物事には優先順位があり、先ず大切なのは内容で、内容を鍛えるには国語を徹底的に固めるしかない。

今回の中教審の答申はこの「国家の品格」にある主張と全く反対だね。
少なくともこの著者は、日本語もまともに話せないような“日本人”が英語を流暢に話せるとしても何の“国際人か?”といっている。
そして、母国語の文化を理解しない“教師”に教えられる“品格のない英語”が何の足しになるのかと。

日本語にも同じ事が言えるのでは?
以前の職場で、上司に「(お前の)得意言語は日本語だろう」と言われていた同僚クンが居た。
その彼は英語は勿論、日本語すら怪しい。
というか、他に使える外国語が無い人が履歴書の「得意言語」欄に“英語”と書く程度にしか、日本語を使えないという意味。
彼は日本人で、日常生活に日本語を使う人だったけどね。

また、大学でアメリカ文学を勉強していた私と同期入社の同僚女性は、アメリカから送られて来るビジネス文章を全く訳せなかった。
否、彼女的には“訳した”のだけど、それはネイティブな(?)日本人には全く理解できない日本語だった。
要するに日本語の文章になっていないって事。
日本に居て日常は日本人とコミュニケーションをとるのに日本語で上手く話す事が出来ない人がこんなに多いのに、これ以上国語の時間を減らして英語を教える必要ある?
今の文部文化省は、私の友人が訳した“日本語が使い物にならなかった”事より、アメリカから文章を受け取った人が(他人に頼んで)訳さずには文章を“理解できなかった”事を問題視するのだろう。
でもね、言葉を訳するという事は相手の文化を日本の文化に当てはめてより近いものとその違いを伝える事、逆に“訳が要らない”というのは両国の文化や歴史を理解しているという事。
単に“言葉”を知るだけでは、コミュニケーションのツールとしての言葉は使えないって事なのよね。
その程度なら機械でも出来るしね(笑)

っていうか。。。
核家族に育って、さらに親や他の世代とのコミュニケーションも拒否しているような現代の若者クンたちの日本語は、同じ日本人ともコミュニケーションが難しい。
同じ場所に住んで生活をする人とのコミュニケーションを取る事すら出来ない若者クンが多い現状を考えるなら、英語を教える前に日本語をもっとしっかり教えるべきだと思うのが当たり前の姿では?
日本語習得の時間を減らしての英語教育なら、日本語や日本文化をないがしろにする英語教育なら、百害あって一利もないよ

この小学校からの英語教育の義務必修化なんて、なんだか文部科学省のコンプレックスのために新しい事を思いついた?という感じよ。
外務省に勤めていた経験がある帰国子女の元議員さんだってこんな事言っているよ。

 小学生に英語教育?(城内実ブログ)

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国家の品格 from 本の紹介ページ 2006-04-27 (木) 13:26
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