- 2006年4月29日
- 03.旅行記
ここ三春は、遠く坂上田村麻呂の頃の話を聞く。
というか、私は、坂上田村麻呂がこの東征の為にこの地を訪れた事と、その田村麻呂の馬ににちなんだ三春駒がある事しか知らなかった。
この三春駒は日本三大駒と言われる。
いう事は、三春には、日本三大○○が2つもあるのね(^^)
そうそう、この地が田村郡と言うのも坂上田村麻呂に由来するものだという事は知っていたわ。
さてさて、この地は後に坂上田村麻呂の子孫の田村氏が治め、後に秋田氏が治めた。
そのため三春の市内は田村氏と秋田氏の関連の寺院が多い。
桜、梅、桃の3つの(花の)春が同時に来ることから三春という名前が付けられたという町の名のとおり、寺院の庭にはどこも桜と梅と桃が植えられている。
他のお花も沢山あったけど、今はやはり江戸彼岸桜と枝垂れ桜が多く見える。
(梅と桜が同じ場所に咲いているのが判る)
先ずは三春大神宮。
車1台がやっと通れる細い道を上がる。
あまりに道が狭いので、ここは本当は車が入っちゃいけない処?と思ったけど、上がりきったら駐車場があった(^^)
駐車場の周りは桜が満開。
でも、ここにも人は居ない。
桜を独り占めだわ(笑)
観光マップの“お勧め”にしたがって町役場隣の駐車場に車を停めて、街歩き。
他にこの街に多いのは、蔵とベンチ。
蔵は土壁のものもあるけど、石造りのも蔵も多かった。
神社の収蔵庫も石造りの蔵で、こういう神社って始めて見たかも。
神社は田村大元神社(たむらたいげんじんじゃ)。
大元神社なんて珍しい名前だと思ったら、田村義顕の三春移城に伴いこの辺りの鎮守の為に、守山(福島県郡山市田村町)から大元帥明王を三春城三の丸に移したのが始まりらしい。
戦後の廃仏毀釈でお寺の部分が切り離されて廃寺となって、今は神社だけが残っている。
石段を上がると、鳥居代わりの仁王門。
全くお寺の雰囲気だわ(笑)
此処の桜も有名らしいけど、残念ながらもう散っていた。
観光マップには、此処から城山に上れるような事が書いてあった。
案内に従って、“遊歩道”を歩いた。
これが結構キツイ。
汗だくになった。
いつまで歩いたら、城跡に着くんだろう?と思った頃、ちょっとした広場に出た。
これが天守閣跡?
兵どもの夢の跡?今は土筆の原っぱ。
ここの土筆って、伸び放題。30cmもの長さに伸びている。
そのまま遊歩道沿いに歩くと二の丸跡に児童公園があった。
でも、こんなに人の少ない道を上がってこの児童公園に来る子供なんているのだろうか?
この城山も見事な桜が沢山あるのに、人は全くいない。
遊歩道を歩く人もお花見をしている人も見かけない。
児童公園で遊ぶ子供の姿もない。
遊歩道に従って歩くと、「国土交通省管轄 雇用促進事業」とか書かれていた。
事業名は定かではないけど、この城山の整備は雇用維持促進の為に行われたものなのね。
何だか中途半端な感じね。
公共事業はしたけど、あまり市民には使われていない公園なんて。。。
観光客誘致が出来るような公園だと、観光収入が上がって、それなりの雇用も促進するだろうに。。。
城山のふもとに小学校があった。
この小学校にも人影はない。
こんな町中にあるような小学校でも、休日には子供の姿はないのね。
私が子供の頃は、休日でも学校で遊ぶ子もいたのにな。
遊歩道は小学校の正門前まで続いている。
小学校の正門は江戸時代にあった三春藩の藩校「明徳堂」の門が移築されている。
立派な門で、流石に武士の学校だね。
この雰囲気だけで、此処が“鎌倉”と言われる所以が判る。
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