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生かすも殺すも“言葉”次第

少し前、ある処で、私が書くblogは全てメインのblog(って、此処?)にリンクしていなければならないかのような事を言われた。
まぁ、そういう話になるまでには経緯も色々あるのだけどね(苦笑)

で、実は未だここにリンクをしていないblogもいくつかある。
その中の一つであるSNSでの友人にしか公開していなかったblogに載せた写真が、ある場所で褒められたので最近の私はちょっと有頂天になっている(笑)

リンクしていないと言うblogは、3月から始めたもので未だ数記事しかエントリしていない「一語一画(いちごいちえ)」という写真五七五を気取ったblog。
同じようなコンセプトのblogの「On the Window」をここ数年に渡ってほったらかしにしてる事もあって、リンクするには早いかなぁ。。。なんて思って、いくつか入っている内の1つの某SNSでだけ公開していた。
季節柄もあって、そのblogの桜の写真を載せたエントリーを、yahooの「桜写真の投稿」企画に投稿(trackback)した事によって、思わぬことに今回その写真がお褒めに預かった。

投稿した写真はプロのカメラマンにアドバイスがもらえる可能性があるという事だったので、多少はそういう期待もあったけど、企画の最初の講評でその最初に名前が出てきたのはかなり嬉しかった。
“最初”というのは、“特別目立った”ような気分に浸れるもの(笑)
で、豚も木に登るような有頂天ついでに、こちらでも自慢(!)げにblogを紹介してみる(^^ゞ


実は、学生時代は絵が下手で、美術は赤点ギリギリ(^^;
美術の担当教師が生徒会の担当をしていた事もあって、生徒会活動をしていた私に多少の“贔屓”をした結果、かろうじて赤点を免れたというようなレベル。
それでも、その先生は、「お前は、出来上がった絵は下手だけど、センスはあるよ」と妙な慰め方をしてくれていた。
それを真に受けたのかどうか、今の私は写真を撮るのが趣味になって、これでも今回も合わせて2度ほどプロに褒められる事があるのは、“(絵を描くのは下手なのは)美的センスが無い”と言うような、私を否定することをしなかった美術の教師に感謝なのかな。
“観せるという意味でのセンスが無い”と、美的センスについて完全否定されていたら今の趣味も無かっただろうしね。。。


そういう意味では、人を生かすも殺すも“言葉”次第なんだね。。。








私の写真とは全く関係ないけど、“言葉”がらみで思う事を1つ。
って、此処からは酔っ払いの戯言なので表現も過激がべき乗するかも。。。(^_^;


先の自治体の首長さんの“失言”について、「(思った事を)包み隠さず表現したのが良い」と言う人があって、ちょっとビックリ。

ちょっと過激な比喩になって申し訳ないけど。。。
家族を100億人に1人しか罹らないような奇病で亡くした人に、「そんな珍しい病気に罹るなんて、オメデトウ」と言う人が居るだろうか?
ちょっと過激度を下げて、例えば「私や私の家族が罹らなくて良かった」と遺族に言う人が居るだろうか?

仮にそういう人が居たとしたら、周りの人はそういう人を“常識の無い人”、“弁えない人”と非難するのが普通なのではないかと思うよ。
もっとも、「包み隠さず表現したのが良い」という人は、そんな場合でも、「オメデトウ」という言葉が欲しいのかもしれないし、欲しいとは思わなくとも相手の本心からの言葉であれば“有難う”と返す心の広さがあるのだろうと思う。
でも、多くの人はそこまで心は広くない。

でも、“言葉”はコミュニケーションの道具。
言葉を発した人の意図が相手に伝わらなければ意味はないし、自分の心の広さと同等のものを相手に求めるのは間違っている。
仮に言葉を発した人の意図が相手に伝わると判るような“意思の共有関係”があったとしてもその場にふさわしくない言葉であれば、それはきっと迷惑だと思う。
タフミルで家族を失った人が居るかも知れない場で「タフミルを服用したから今日は異常行動を起こすかもしれない」とか、自衛官や警察官を家族や恋人に持つ人が居る場所で「人殺しの練習をしている」だとか「痛めつける練習をしている」だとか、いう事は、その場にふさわしい事なのだろうか?
まして、新任の祝いを述べる場でいう事がふさわしい言葉なのだろうか?

まぁ、そういう配慮を私は“大人性”というのだけど、そういう配慮が無いからこそ他人に非難されるのよね。
他人に発言を非難されるのってそういう配慮が無い事が1番の原因で、ある意味“迷惑な発言”って事。
本人に自覚がないと言うのが唯一最大の問題なだけで。。。


ハサミが時に人を殺傷する凶器になるように、言葉も“迷惑”を超えて“凶器”にもなりうる。
それを判っていて「思ったことを正直に表現」する覚悟があるのであれば、それもよし。
ただし、そういう覚悟があるのなら、下手な釈明は要らないハズ。
「どんな反発も受けるし、場合によっては殺される覚悟もある」と言えばいいだけ、だと思うな。
言葉で人を殺す事もできるのだから、“自由に”発した言葉は他人を殺す可能性と自分が殺される可能性を覚悟すればいいだけ。
きっと、その1点に尽きるのだと思うわ。
政治家なのだから。

っていうか、下手な釈明をするから、その覚悟の無さを突付かれるのだと思うのだけどな。。。

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