- 2007年4月 7日
- 03.旅行記
近江八幡の駅からバスに乗って、近江商人の町並みが残るという新町に行く。
乗車時間は約5分、「小幡資料館前」でバスを降りて、少し戻って新町通りに出る。
大きな公共駐車場があって、初めての観光客でも此処が近江八幡の観光の中心と解る感じるよ(^^)
天秤棒を担いで全国を歩いたという近江商人は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の“三方よし”と商売とは関係なく社会貢献をする“陰徳善事”を理念に商売をして、現伊藤忠商事を初め、丸紅、高島屋、大丸、西武グループ、日本生命、ヤンマーディーゼル、武田薬品、布団の西川産業、足袋の福助と近代まで綿々と続くそうそうたる大企業家を生んでいる。
品薄の時に値上げをして利益を得るのを潔しとせず、社会貢献をする事で名前を売るのを潔しとしないだなんて、昨今話題のIT社長に聞かせたい言葉ではあるけど、IT企業に限らす最近はこういう“道徳”って無くなったよね。。。
そういえば、メンソレータムの近江兄弟社もここの出で、この地に学校を持っているのね。
さっき電車で「近江兄弟学園」という看板を見て「近江兄弟って会社の名前じゃなかったっけ?」と思ったのだけど、その学校は近江兄弟社が創った学校なのね。。。
で、街を歩いてみると、近江八幡は“天秤棒を担いで”には程遠い“豪商”が多いのがわかる。
伴家、西川家と言う公開されている豪商だけでなく、新町通りに軒を連ねる家はどれも軒の低い平屋か2階屋で建物は京都の大きなお寺に匹敵する?と思う程大きい。
通りに面した家屋は今もお住まいの民家ばかりで中を見ることが出来るのは資料館となっている旧伴家と旧西川家だけだけど、公開されていないお宅も含めてどのお宅も町屋としては大きいよ。
地方の田舎町で育った私の、中学の同級生の家やお稽古で通っていた先生のお宅は私が中学生の頃でも昔ながらの町屋造りだった。
そんな家に出入りしていたのだから、私は町屋の家屋構造は知っているつもり。
だからこそ、町屋造りの家で“見世”がこんなに大きな家って奥はどれほど?と思ってしまうのよね。。。
実際、伴家などは、個人の家屋が後に小学校の校舎や町役場として使われるほどの大きさだし、西川家は“奥”に至る“庭”nの奥行きは30mはあるもの。。。
第一、さっきの大きな駐車場は、伴家の分家の屋敷跡。
分家のお屋敷の跡が大型の観光バスが30台は停まれる駐車場になっているのだもの、本家の大きさが窺い知れる。
伴家(本家)の住宅は確かに大きくて、通りの反対側からでは私のカメラで全景を納める事はできなかった。
中に入ろうかと思ったのだけど、入り口に人が溜まっていたのでパス。
後でここの当主が本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らと交流がある国学者であり歌人でもあった伴蒿蹊の家と知って、中の展示物を見なかった事を少しだけ後悔(^_^;
伴家の向かいには市立資料館。
ここは明治の洋館風なのだけど、昭和初期に建設された「旧八幡警察署庁舎」を考古資料館として公開しているらしい。
裏手にある「歴史民俗資料館」、向かいの「旧伴家住宅」、裏手のそのまた裏に当たる「旧西川家住宅」の4館で“資料館”を構成していて、この4館合わせて見学料が400円。
時間が許せば見るべきだったと後悔する。次に行く時には、是非見てみたいものだわ。
通りの角には郵便ポストがあった。
最近この形のポストを見なくなったなぁ。。。
さて、いよいよ新町の通り。
見越しの松というらしい軒の間から伸びる松が近江八幡の町屋の特徴らしい。
私は、紅殻格子と軒の庇の長さが特徴的だと思ったのだけど。。。
って言うか、表に面している部分がこの大きさなのだから、この奥はどの位大きいのか。。。と考えたら眩暈がしそうよ(笑)
ふと見ると、ツバメが飛んでいて、町屋の軒先に巣を作っている。
未だ、雛は居ないようだったけど、ツバメを見るともう初夏の気分ね。
って、桜を見に来たのに。。。(笑)
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