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桜を求めて、春浅い淡海路へ(その10)

天守閣を降りて黒門から内堀を出ると玄宮園(げんきゅうえん)に出た。
彦根藩4代藩主直興(なおおき)が1677年に中国唐時代の玄宗皇帝の離宮を真似て造営した彦根藩の下屋敷で、中国洞庭湖(どうていこ)の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで近江八景を配した庭が有名。
隣の楽々園(槻御殿~けやきごてん)と共に国の名勝に指定されているらしい。
って、今回来るまで全く知らなかったのだけどね(^_^;)

でも、流石に徳川の筆頭譜代大名のお屋敷だけあって立派なもの。

楽々園

この楽々園は今は改修工事中だとかで公開されていない。
玄宮園から槻御殿を眺めることが出来るだけ。
此処から見えるお庭は枯山水だけど、以前はここ池があったとか。

玄宮園は池を一回り。

池

臨池閣(りんちかく)を正面に見ると天守閣が奥に見える。
まるで絵葉書のような景色だな。

臨池閣と天守閣

臨池閣の奥には彦根藩の賓客をもてなすための客殿である鳳翔台(ほうしょうだい)があって、お茶がいただけるらしい。

臨池閣と鳳翔台

ちょっと覗いてみたけど、お客さんが列をなしていたからパス。
ここで並んで時間を潰すより、お堀端を桜を見ながらゆっくり歩いた方がイイもの(笑)

内堀

花見の準備をしている人を横目に見ながら白鳥が泳ぐ内堀を歩き、埋木舎(うもれぎしゃ)を目指す。

埋木舎前の中堀

時代劇のロケ地になる事の多い彦根城でも、最近では此処が1番有名かも?
埋木舎の前のこの道は「武士の一分」のロケ地だものね。
埋木舎は安静の大獄で有名な幕末の大老井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期を過ごした屋敷として有名で、「埋木舎」という名前も直弼が自らを埋れ木と言い表してその住居という事で付けた名前らしい。

埋木舎

埋木舎の門には「大久保」の表札。
?と思ったら、明治になって直弼の一の家臣であった大久保家に払い下げられて、以降は大久保家がこの建物を維持管理しているらしい。
その大久保家の現在の当主は苫小牧駒澤大学の初代学長だとか。
私のように何故個人の表札が?と思う人が多いのだろう、親切な説明が掲げられていた。
それにしても、国の特別史跡でもあるから数年前の大修理の際は国や彦根市からも援助があったらしいけど、それまでは個人が私財でこれだけの建物を維持していたなんて凄い事だと思うわ。
お殿様が住む家としては小さい家だけど、一般の人が住む家としては大きいし何より古いもの。


埋木舎を見学して外にでると、お堀に黒鳥が泳いでいた。
黒鳥って、実際に見るのは初めてかも。。。

黒鳥

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