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早熟な才能はその寿命も短い

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<中田英寿>現役引退を表明 “新たな自分”探しの旅にと

 サッカー日本代表MFの中田英寿選手(29)=イングランド・ボルトン=が3日、現役引退を表明した。自身の公式ホームページ(HP)上で明らかにした。中田選手は「何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない」としつつ、「プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい」と、引退理由について語った。
 HPによると、中田選手は「半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた」と、日本代表が1次リーグで敗退したワールドカップ(W杯)ドイツ大会を最後に第一線から退く決意を固めていたという。中田選手の所属事務所・サニーサイドアップ(東京都渋谷区)は、W杯での日本代表敗退後に話し合って慰留したが、中田選手の意思は変わらなかった。
 中田選手は「俺(おれ)の気持ちを分かってくれている“みんな”が、きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。だから俺は安心して旅立つことができる」と、サッカー関係者やファンへのメッセージをつづっている。
 中田選手は山梨県出身。95年、韮崎高からベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)入り。98年W杯フランス大会後、イタリア1部・セリエAのペルージャに移籍。イタリア、イングランドで8季、6クラブでプレーした。W杯は98年大会から3大会連続出場。国際Aマッチ77試合で11ゴールを挙げている。
 ◇中田英選手のホームページから
 “人生とは旅であり、旅とは人生である”
  2006・7・3
~1985年12月1日―2006年6月22日~
 俺(おれ)が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。
 あの頃(ころ)はボールを蹴ることに夢中になり、必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍(かたわ)らにあった。
 この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。山梨の県選抜から関東選抜、U―15、U―17、ユース、そしてJリーグの一員へ。その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。
 五輪代表、日本代表へも招聘(へい)され世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。
サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。
 もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、“糧”となり、自分を成長させてくれた。
 半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。
 何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。そう思ったからだった。
 サッカーは世界で最大のスポーツ。それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為(ため)の責任を負う。時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び、時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛(さいな)まれる。
 プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていった。
 けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後、サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。
 それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。
 これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振る舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢(あふ)れ出した。
 ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶(あいさつ)をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。
 そして、思った。
 どこの国のどんなスタジアムにもやってきて声を嗄(か)らし全身全霊で応援してくれたファン――。世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と……。
 サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。
 最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。
 俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術(すべ)を知らなかったこと。それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。
 ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか……ちょっと自信がなかった。
 けれどみんなからのmail(メール)をすべて読んで、俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。
 何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのはとても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。
 だから今、俺は、安心して旅立つことができる。
 最後にこれだけは伝えたい。
 これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。
 みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。
 そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと乗り越えていけると信じられる。
 新しい旅はこれから始まる。
 今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれどサッカーをやめることは絶対にないだろう。旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりにボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。
 これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。
“ありがとう”
ひで
(ホームページから原文のまま)
2006年7月3日(月) 21時53分 毎日新聞


テレビニュースでは「突然の」というような表現をしていた。
このニュース、お友達のブログでタイトルを見たときは、ベッカムかだれか他の人の事だと思った。
でもね。。。
かなり前から言われていた事で、なにも「突然」ではない。
WCのブラジル戦の後のインタビューでもそれを意識した質問があって、ヒデも“期待”にこたえた表情を返した。
ダレもが予想していた事だと思うのに、騒ぎすぎでは?


WCの1次リーグで日本が敗退したあと、日本のマスコミはこぞってヒデを“戦犯”扱いをした。
野球のWBCでのイチローと比べて「イチローになれなかったヒデ」と題した記事を発したマスコミもあった。
私は元々ヒデを好きではなかったけど、これは酷いと思った。
サッカーは1人でするものでもないし、WCでの経験が豊富という理由だけで、ましてキャプテンでもないのに、“チームを纏める責任”を負わされるのは違うと思うから。
事故を調査する警察でもあるまいし、マスコミは誰かに“責任”を負わせないと勤めが果たせないとでも思っているのかしら?
だとしたら、そういったマスコミの姿勢がヒデの引退を早めたのかもしれない。。。なんて思ってしまう。


それにしても日本のマスコミってヘンな存在だ。
“格差”と言う言葉を使って、「“才能”が開花し実を結ぶ事」を否定する。
彼らは“スポーツ”の世界で“才能”を否定しないと言うかもしれないけど、それは違う。
突出した“才能”を“伸ばす”事を否定し、全体にその能力を分配する事を求めた。
それがWC1次リーグ敗退後のサッカー・ジーコ・ジャパンやヒデに対するマスコミの論調でしょ?
彼の才能はチームを引っ張ることではなく、あくまでも個人の能力の高さだ。
サッカーがチームプレイだとは言え、マスコミは、適材適所に個人の才能を活かす事を求めずに経験の長さだけに根拠を置いてチームを纏める事を求めた。
あたかもそれがサポーターの意見でもあるかのように。

そして今。
彼らが否定する“才能”が花を閉じて新たな“実”の提供を止めようとすると、こぞって“残念”と報道する。
なんだかなと思う。
個人的にはヒデの引退は残念だと思うけど、マスコミが言うと“あんたがそれを言うのは違うでしょ”と思ってしまう。。。
マスコミに斜に構えてしまう私の悪い癖だね(苦笑)

カズやゴンに比べると勿体無いくらい若い引退だと思う。
でも、早熟な才能はその寿命も短い。
彼自身が見切りを付けたのであれば、仕方のないことなのだろうね。
彼はファンの為にプレイしているプレイヤーではなく、自分自身を表現するためにプレイしていたプレイヤーなのだから。

Comments:3

彩庵 2006年7月 4日 05:30

私が非常に残念というのは許していただけますでしょうか^^;

amebloメンテナンスのためトラックバックは後ほどなんですが、期待を込めて「やめないで」って思っていたんですよね。
マスコミの「思いこみ」であってほしいと「願って」いましたが、その信念は曲がることは無かったと・・・

当然本人にしかわからないのでしょうが、昔なんかの時に30位までにやめたいって発言をしていた記憶があります。
それってトップレベルで自分がやっていられる範囲を知っていたのかもしれませんね。
とにかく非常に残念。

ゆりかりん 2006年7月 4日 13:10

世に咲く花は色々というけど、いろんな生き方があって良いと思う。

私的には、今回の引退劇を、彼らしくて良いと思ってる。w
(マスコミがどうあろうが、彼は自分を貫き通したんだと思う)
「自分の人生は自分が納得いくように生きたい」と、
誰しも思うに違いないからね。
彼の行く道は彼が自己責任で達成して行くものだし。
(それって、マスコミ云々・・・というよりも、
「彼自身がそう望んで決断した」答えだったと思うし)

今後の彼を、私は楽しみにしてるかなぁ~?

COO 2006年7月 4日 23:21

>彩庵さん
 大丈夫ですよ~(笑)

 WCを見ていても、他の選手より運動量が数段多く、傍目には引退には早い気がしますが、
 本人の中では、充分なプレイができなくなっていたのでしょうね。
 他人と比べてどんなに優れていても、自分が納得できなくなったら選手をい続けていく事は難しいのでしょうね。。。


>ゆりかりんさん
 マスコミ報道によると、今後はアメリカで活動するつもりだとか。
 彼の人生設計って、幼いころから変わっていないらしいですね。

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